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放っておいても何も問題ではないこと
耳障りのいい言葉、というのを聞いたことがある。
当たり障りのないというよりも、良い言葉ではないけどもそう聞けば納得するような感じだろうか。一種の定型文みたいなものだと思えばいいかもしれない。人と会えば天気の話を持ち出し、暑いやら寒いやら気候そのものを共通の話題にしてその場を凌ぐ。残業している人を横目に、いかに自分が用事があって帰らなければならないか、を主張する人も同様。まあ、こちらの場合は、耳障りよりも体裁を整えているように見えて気の毒になるが…。とにかく人間関係を“わや”にしてしまわないために必要だと言われてきたし、すでに社会に毒された私たちは、無意識にそういう言葉を発している。
そういう言葉がすべていけないわけではない。物事ははっきりし過ぎると人間関係もぎくしゃくする。欧米のような契約社会ではなく、あくまでも本人たちの自由裁量に任される人間関係では、とにかく本音を隠したほうが得策だと思われている。沈黙は金ってやつだ。言葉だけならまだいいが、ついにはそういう“耳障りのいい人”まで出現してくるから困った。困ったというのは決して他人事ではなく、私がその役割を担わされるからまた話は複雑になる。簡単に言えば、直接、話したくない相手に本人に変わってその旨を述べるという“大役”だ。大抵の経営者はそういうことをしているだろう。自分で言えばいいことを、何かそういう地位の人間が言うとうんぬんかんぬん。御託を並べたところで、言い訳にしか聞こえない。
人間のコミュニケーションは、本質はその意図にある。発せられる言葉は何かを目的としなければ出てこないわけで、言葉そのものよりも意図を知ることが大切だ。言葉通りに受止めれば腹の立つこともあるかも知れないが、実際の意図はそこにはなかったなどということは何処にでもあることだ。しかし不思議なのは、そういうことで問題になった場合、ついに最後までその意図が何だったかわからず終いになることが多い。たぶん、当事者同士が勝手に予測し合い、納得してしまうからだろう。それかもしかすると、その本当の意図を知られるのが怖いのかもしれない。議論を始めていくうちに言葉だけが独り歩きして、本人の意図することとは違う方向にすすんでしまうことはよくあることだ。そうなると、いやそうではなくて、しかじかこういうわけで、などと今さら話しをすることすらできなくなってしまうのだろう。つくづくバカらしい話しだと思う。
しかしそれをわかっていながら“いいねえ”と自分の立場を、役割をおじさんたちから賞賛されながら時間は過ぎる。こんなこともあんなことも、君ならきっとできる、とか褒められて、またがんばってしまう自分がいる。耳障りのいい言葉をは、その人の感覚を鈍らせ、ときに大きな過ちを犯すことがある、というのは紛れもない事実だ。身をもって経験した私だからよくわかる。それがつらいとか、悲しいとか、感情で割り切れるものでもないことも知っている。
社会のしくみとその役割。そういう予備軍がどんどん育っていけば、小さな地域紛争となって今日も居酒屋の話題になること間違いなしだ。しかし今は、痛い目にあった私でさえも解決すべき方法を知らない。じわじわと襲ってくるような感覚では、かえって逆効果になってしまい、またあの轍を踏むことになりかねない。今はただ、ひとりになって、そう自分自身以外の何者でもないことがそうならないための方法だと思う。もし、そういう言葉の魔術を聞き分ける術が広くこの世に広まれば、それは果たしてよい社会、人間関係が築けるものなのか。もしかするととても生きにくい世の中になってしまいそうで怖い。そう自分に言い聞かせながら、まだ中途半端に状況を眺めている。
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ここ数年
この時の同じような立場に立たされていた。
あなたがいないと組織が円滑に回らない。
それって褒め言葉か?
何も好き好んで役割を果たしたわけではないが
無意味に議論が紛糾するのが
何よりも面倒で無意味で非合理的だと
感じるからこそ避ける術を身に付けた。
それっていいことだったのか
今更ながら振り返ってみると
かなり無駄な時間を過ごしてしまった気がする。
つまり放っておけばよかったのだ。
当事者同士が解決すればいいものを
自分が介入したことで
わざわざ話を複雑にして
自分の時間を割いてしまっていたことに
ようやく気がついた。
本当に無意味だった。
その証拠に誰からも賞賛されず
何事もなかったかのように時は流れている。
ようやくその役割を終えて
複雑怪奇な人間関係から解放される。
もう二度と他人の揉め事に介入することはない。
残りの人生が
自分のものになるように努めたいと思う。
#あの頃のジブン |51