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044いまさらデッサンのはなし

何をするのも「デッサン力【でっさんりょく】!!」と昔はよく言われていました、もちろん受験生の頃、先生や講師からです。毎日のように描いていたのでそのフレーズも毎日のように浴びせかけられていました。そしてなんと受験に合格し大学に入ってさえそのペースは変わらず、いつまでデッサンさせられるんだろう?なんて感じだった。けど今思う、やっぱ大切だわ!と。

まず大学入って驚いたことはデッサンにも個性があるんだな〜と思ったこと。江戸時代の田舎剣士が都会の道場へ来てその流儀や技に驚いたように。
その時点で「こいつすげ〜な!」と思われるヤツも居て、今でもその当時見た感覚は鮮明で変わらない。でもそれは特にうまいテクニックというより、ダイナミックだったり、モノのとらえ方だったり、つくられる上でのプロセスだったり、こういう動きをたどるのか!なんて横から見たりしていた。やはりできるヤツだったので今でも各方面で活躍している。その姿を見るとヤツのデッサンを思い出す。

受験生時代のエピソードとして、大きなボトルからまちまちのコップに飲み物を分ける時など「おー!デッサン力試されるな〜!」なんてプレッシャーをかけられた。要はその容量を視覚を通してどうとらえるか、見た目で全体を計れるか、また配分をしっかり見極められるかって試されていたことが今となってわかる。

学生時代から一時が万事「デッサン」という状況から解放され、やっとデザインという領域に足を踏み入れて、さらに仕事を持ちいろんな壁にぶち当たる時、後ろからまたこの「デッサン」ということばが突きつけられるようになった気がした。

言うところのデッサンとは、もちろん造形力という点では必須だと思うけど、全体のイメージ像を描いて、そのプロジェクトでの目標の立て方とか、プロセスの立ち上げからフィニッシュまでのイメージの作り方、どうやって収めていくかなど。たぶん描く、手を動かす、デザインするというよりも、それ以前の観察力、それはカタカナでいうところのプランニングなのかもしれないが、全行程の中で自分の立ち位置を確認する上で必須なんじゃないかと感じています。自分自身を客観的にどう見ていくか。

そういう意味では実際いろいろできる人を見ていると、見たことないけどしっかりしたデッサン描けてたんだろうな〜と想像してしまう。絵の中でもしっかりカタチを決めるポイントを押さえるように、各要点を決めて不安を感じさせない力を感じてしまう。

先日就業相談で日本の美術大学に編入してから卒業した留学生の若者が作品を見てくれと突然来た。伺ってみるとなんと今でも編入試験にデッサンがあったそうだ。なんとなくその話を聞いてムズムズした。やってるんだな〜って。

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