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049教え教えられ

20代の頃、先輩デザイナーの人とよく飲みにいった。その人は分野のちがうデザイナーだったが、一緒に仕事したり、出かけたり、家族ぐるみでのつきあいもあり、本当に兄貴分のような人だった。そして一緒に飲みに行ってぼくは今まで1円も払ったことがない。たぶんこれからもない気がする。

30代で某デザイン団体に所属していろいろ活動した。ただし活動にあたっては制限も多く、ちょっとわずらわしくて結局4〜5年で辞めてしまった。
参加した時点で若手ということでいろいろやらされたこともあったし、大きなミスもしたり、自分本位で動いていたので上手く調和できなかったのかもしれない。ただいろんな体験はさせてもらった。

そして今50代。縁あってデザイン系専門学校の講師として誘われて、当初受けるか悩んでいたが結局引き受けた。気がつくと4年経過している。教えるってどうすればいいんだろう?と考えた結果、自分なりのやり方を確保してなんとか勤めている。今振り返ると受けてよかったと思っている。自分に対しての気づきも多い。

20代で意気投合、30代で自ら活動し出して、結果50代で人に教える立場になった。通して考えてみると人と人を介していろんなことが継承されていくんだな〜と実感する。
お酒の飲み方さえ。陽気になってみたり、突然怒られてみたり…よくケンカも売られたもんだ。

ただ仕事を覚えていろんな経験を積んでいくうちに自分だけで閉じてしまっていいだろうか?という疑問がつきまとった。

考えてみれば20代の時の兄貴分先輩デザイナーだって事細かに何かを教えてやろう、という感じではなかった。ただそのスタンスや身のこなし方など身をもっていろんなことを教わった気がする。同じように自分に子どもができて無意識的に彼ら彼女らに自分から何かを伝えようとしているような気もする。現在進行形でもある。

若い時の時間は一瞬でも、歳をとってみるとその時の流れが俯瞰から見えてくることがある。いろいろもがいてきたけど、結果的に今学校で教えてること自体も自分にとって必然だったのかなとも思う。

今や飲み会も少なくなり上下で接する時間も少なくなってきているのかな?それももったいないようなような気がする。会うだけでも影響を受けたりするもんだ。
自分の中にため込んだものを墓の中まで持っていくには忍びない。世の中に役立つのであればできるだけ出し惜しみなく表していきたいと思っている。

おごってもらっている回数からすると、下の世代におごる回数が少なすぎる。あとどのくらいで五分に持ち込めそうかな……まだ当分かかりそうな気がする。

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