034自由な不自由
そろそろ夏休みです。ちょっとラジオで自由研究の話しなどをしていました。ぼくはどうもこの「自由研究」というものが苦手なのです。
自分が子どもの頃もやった覚えもなく、やっていたとしても何も覚えていない。やったんだろうか?やったとしても決して自由ではなくやらされてたんじゃないかと思う。
ぼくにも子どもが3人いますが「自由研究だから自由なんだし、やらないって選択肢はないのかね?」と常に聞いてきていたように思う。基本的な考えとして子どもの夏休みなんて遊ぶだけ遊んでろって今でも思う。
元小学校の校長先生の友人がいる。彼曰く「今は勉強しなきゃ罪に感じる空気がある」と。なんとなくその圧は感じることもある。やっぱ健全じゃないと思う。となればやっぱ何の罪を感じることなく遊んでくれた方がイイと思う。「子どもは遊ぶのが商売」亡くなった父が言っていた、ぼくもそう思う。
世の中に溢れているモノの中に「自由研究」と呼ばれる「不自由」なカタチがある気がしてならない。ひと昔前なら東急ハンズに「自由研究コーナー」なるものがキレイにディスプレイされていたり、無理に「自由研究」させようとするイベントのような。今だと安易な検索ワードかな?
小学生の時に自由研究で県知事賞をとったという近所の人の話しを聞いた。それは決してキットや定型ではないアイデアがあってすばらしいと感じた。できる人はできていい。
そもそも自由研究の先が大学だと思う。本人の望む「研究」に集中できる。けどそれを小学生にってのはどいうかな?持ってる人もいれば、見つからない人もいる。
最近思うのが大人こそ常時自由研究が必要なんじゃないの?って思う。仕事はあるにせよ常に「自由に研究」できる。やってる大人もいるんだよね。たまに話しを聞くと勉強というか研究というか、ひょっとしたらオタク?の世界になるのかもしれない。けどそんな世界を探求している人は居る。
やはりそういう人に接するとこちらも刺激をもらうし、負けてられないなって気になってくる。ひょっとしたら趣味の延長線ってことなのかな自由研究って。