シン・エヴァあるいは寝取られエロゲーのグッドエンディング
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ネタバレ注意!
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楽しげに談笑する綾波とカヲルをよそに、
シンジがマリと駆けていくラストシーンを見て、
「寝取られエロゲーのグッドエンディングみたいだなあ」
と、思った。
愛した妻は寝取られて戻ってこないけど、
「あんな女、忘れなよ」と慰めてくれた同僚とくっつくみたいな、
救いのある寝取られエロゲーのグッドエンディング。
ベストエンディングではない。
僕、そしておそらく僕たちが見たかったベストエンディングは、
綾波かアスカ、自分の中でとうに選び終わったヒロインどちらかと、
楽しく学園生活を送るシンジ君の姿なのだから。
そしてそれはもう、この25年の間にどこかで見たはずだ。
あそこで来たのが何故マリだったかは、理由が2つあると思っている。
1つは単純にシンジ君こそがエヴァそのものなのだから、
シンジ君から解放されない限り、綾波もアスカもエヴァの呪いを受けたままだし、
逆にシンジ君側からしても、同じことだと思う。
そしてもう1つは、庵野監督が何度考えても綾波やアスカと幸せになるルートを見いだせなかったからだと思う。
新劇場版は「ループを繰り返した世界」だと言われている。
目覚めたカヲルの横に並ぶ無数の棺桶は端的にそれを示していて、
カヲル君が何度となくトゥルーエンディングを目指しては失敗して、
次のカヲルに代替わりしていった様を表している、と。
個人的にはこれは劇中のループを示したものではなくて、
「庵野監督が何度考えてもバッドエンドしか思いつかなかった」ことの暗示なのではないかと思う。
ろくに情報も集めていない人間の勝手な想像だけど、
新劇場版も最初は旧メンバーだけでの展開を考えていたのだと思う。
でもそれだと、どうしてもバッドエンドか、
シンジ君がアスカの首を絞めて「気持ち悪い」と言われる展開にしかならなかったのだと思う。
当時はともかく、今となっては「あの終わり方でよかったな」と思えるけれど、
それをやるなら新劇場版はなくていいはずだ。
となると、もう、今までのエヴァではなくて、ヨソから来た人間に託すほかない。
それがマリだったのだろう。
思えばマリについては登場当初から違和感が拭えなかった。
とってつけた感じというか、二次創作のエヴァ小説で作者が出したオリキャラ感というか、
要所で活躍はするんだけど、
何故か「いなくても別にいい」感がすごいというか。
エヴァパイロットの1人としてではなく、
マリが、マリ自身のパーソナリティが物語を動かしたことはないはずだ。
今になって考えると、その違和感の正体こそ、
彼女がエヴァを終わらせる存在だったからのように思う。
そして確かに、綾波やアスカを振り切って、マリと走り出すシンジ君の姿は、
「これでエヴァも終わったな」と、思わせるに充分なものだったし、
だからこそ、寝取られエロゲーのグッドエンディング感を受けたのだろう。
この25年間、愛していたヒロインはもういないし、
逆に言えば、マリがエヴァからシンジ君を寝取ったのだ。
それが良かったかどうかまで、言及するつもりはない。
シン・エヴァは間違いなくエヴァを終わらせるためのもので実際に終わった。
いわばシン・エヴァを観るということは、エヴァの葬式に参列するということだ。
それは観る前からみんなの共通認識だったはずだ。
だとすれば葬式をこと細かく「良かった」「悪かった」と評するのは、
いささかマナーに欠けるだろうから。
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