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【しらなみのかげ】ウルトラマンという新しき「神話」 #31


これは、書きさして放置していた稿を徐ろに思い出し、書き上げたものである。
 
 
文月になって三日のことである。母方の御墓参りに行って親族と食事をした後、遅ればせながら庵野秀明が手掛け、樋口真嗣が監督となった『シン・ウルトラマン』を観に行った。
 
 
『シン・ウルトラマン』。毀誉褒貶相半ばするこの作品であるが、結論から言えば私は或る面においてとても良いと感じた。その余りに軽妙な、時に軽薄にすら思えるタッチの裏腹、人間の原本的な「秩序」の在り方を巡る抗争という「神話」を社会問題の暗喩としてではなく、真正面から取り扱えている作品だと思ったからである。
 
 
勿論、批判点は沢山ある。まず『シン・ゴジラ』(2016年)と比較した時、映像としては間違い無く劣っている。有り体に言えば、CGのクオリティが劣っている。戦闘シーンの演出も、大変優れたカット割りと精妙な特撮セット(とりわけ鉄塔や電線の描写は出色の出来である)は評価すべきものであるにせよ、それらに覆い被さっている筈のCGそのものの稠密さが欠けるからか、やはり優れたものとは言えない。
 
 
ストーリーも、連続テレビ放映であった原作の数話を再構成して並べたような側面があり、ドラマツルギーのまとまりに欠ける点は否めない。それ故に、「ウルトラマン」のような変身ヒーロー物に必要とされる所の登場人物の造形も深みに欠ける。徹底して「官僚機構」として人間を描いた『シン・ゴジラ』と異なり、ウルトラマンである所の主人公神永と防衛隊に当たる「禍特対」(禍威獣特設対策室専従班)との人間関係の描写が鍵となる筈だが、話の成り行き上肝腎の神永が留守であることも多く、豊かに描かれているとは言い難い。それだけに、恰もアニメのようにキャラとして誇張された台詞回しや挙動が、少々軽い印象だけを与えてしまう節がある。
 
 
ただ、そのような欠点はあるにせよ、扱われているテーマは徹底して災害と行政の映画であったと言える『シン・ゴジラ』よりも一層深みに達しているのではないか、と思われた。即ち、『シン・ウルトラマン』では特撮を一種の「神話」として捉え直す試みがなされており、その問い掛けは絶えず危機に晒される人間の「秩序」の基盤そのものに向けられている。
 
 
ここでは、大量の参照源となっている『ウルトラQ』ないし『ウルトラマン』原作との対照は一旦措いて、この作品が一体何を描き出しているのかを分析してみたい。その折に本筋に関わることにも触れるため、未見の方にはネタバレ注意を勧告しておきたい。
 
 
冒頭では開始早々、『ウルトラQ』よろしく、何故か日本にのみ次々と現れる怪獣(劇中では「禍威獣」と呼ばれる)と人間との戦いが素早いスライドショーで描かれる。ここでは『シン・ゴジラ』よろしく、未知なる巨大で強大な怪物と戦う知恵と技術があることが示唆される。その限界を示唆するように出てくる禍威獣が、透明怪獣である禍威獣第7号ネロンガとウラン怪獣である禍威獣第8号ガボラである(この二体なのは、カットで登場する『ウルトラQ』のパゴスと同じく、同じ着ぐるみから作られているからであろう。そのオマージュとして、これらが同種であるということが作品中でも予測されている)。ウルトラマンは、そこで突如正体不明の銀の巨人として登場し、それらの禍威獣二体を然程苦戦もせずに倒すのである。こうして、自ら正体不明の巨大な怪獣を倒せる程の技術と知恵を誇る筈の現代の人間を遙かに凌駕する圧倒的な力を持つ存在として、ウルトラマンが現れることになる。
 
 
この作品に主題の重厚さを与えているのは、この主役たるウルトラマンも含めた外星人達である。ウルトラマン(その本当の名はリピアーである)、敵となるザラブ、メフィラス、そしてウルトラマンと同じ光の星の住人であり裁定者であるウルトラマンゾーフィ。作中でウルトラマンが人間に神と看做されるれる瞬間があるように、彼等は人間にとって古代神話における神々の如き存在である。そもそも、その外星人の生物兵器である「禍威獣」という怪獣の呼称がそもそも何処か古代的な響きを持つが、外星人達は人間には全く及ばない力と知恵を持つ点で、正に古代神話における神々に相当するような存在なのである。そして、その神々は人間を全く超えた次元での、人間にとって神話的としか言いようがない(時にはそれを超えて最早「神的」としか言いようがない)「秩序」に基づいて行動し、何れもウルトラマンと鋭く対立する局面を持つ。
 
 
そして、『シン・ウルトラマン』という作品は根本的には、彼等外星人と人間の間で、人間世界を遙かに超える宇宙的な規模の秩序と、彼等と比すれば余りに未熟な人間の秩序の間の物語である。この点は、怪獣が全て外星人の星間戦争用の生物兵器であるという、原作にはない設定とも繋がっている。
 
 
まず地球を侵略する宇宙人の典型とも言えるのは、ザラブである。立体感の無い甲殻類のような見た目に反して津田健次郎の声がエロティックな彼は、自らの力を誇示しつつ日本政府に友好協定を締結する。だが、その協定は著しく不平等なもので、諸外国への接触をチラつかせて国家間の不和を引き起こさせようとするなど悪辣な手段を取る。原作通り彼はにせウルトラマンに変身して暴れ回るなどしてウルトラマンの信頼を落とすことで、自らの計画を妨害しにかかるウルトラマンを日本政府に抹殺させんとする奸計を弄する。彼は、ランダムな天体の知的生命体を無条件に絶滅させんとする破壊工作員であり、地球上でホモ・サピエンスにお互いに殺し合わせ絶滅させることをその任務としている。
 
 
しかし彼の特徴は、「それが私の仕事」であると割り切っている点にあるだろう。そして、ホモ・サピエンスが害虫と認識した生物種を虐殺するのと同じだと言う。そして、ホモ・サピエンスは認知力と科学力を持ちながら未成熟で無闇に増殖する「秩序のない群体」であると軽蔑の念を露わにする。要するに彼は、地球外の或る領域を成す高度な文明秩序にただ仕事として従う存在である。
 
 
その直後に現れるメフィラスは、日本に禍威獣を出現させて全ての情況を演出したそもそもの黒幕であり、ザラブとは全く異なる戦略を取る侵略者である。人間の姿をした彼を演じる山本耕史の強烈に魅力的な怪演が活きていて、この映画に最大の彩りを添えている存在でもある。彼は、自らの科学力が人類には全く及ばないことを、拉致した長澤まさみ扮する浅見分析官をベーターシステムによって巨大化させることによって示しつつ、ベーターシステムを証拠として提示しながらそれで浅見分析官を元に戻す。そして総理大臣を初めとした日本政府と交渉を行い、人類を巨大化出来るベーターシステム受領と引き換えに、「自らの存在を上位概念として認める」ことのみを条件として条約を締結する。要するに、ベーターシステムによって巨大化した人類で、ザラブのような外星人に対抗しようと提案するのである。その魂胆は、暴力でも知恵でも叶わないと実感させて人間の心を折り、その人間達を自分達が扱える巨大戦力になり得る知的生命体として自身の管理と支配の下に置くことにある。
 
 
極めて紳士的な態度ながら神永以上に人間味を帯びた行動を取るメフィラスは、自らの名刺を差し出し、地球の諺を「私の好きな言葉です」と言いながら多用し、ブランコを上手に漕いでみせ、そして居酒屋で酒と肴に舌鼓を打つ。人類から見れば狡猾極まりない侵略者であるにも拘らず、「私は地球人が好きです」と言う彼の人類への理解と好感が恐らく本物であることがそこに仄めかされる。冷徹極まりない合理主義者であり、人間が動物を見る如く人間を見ている彼もまた、人間が動物に愛情を注ぐ如く人間に愛情を持っているように思える。しかし重要なのは、彼が人類の思考や感情を全く内面化していない点である。その態とらしい程に礼儀正しくも人間臭い挙動の全てを、彼は演技として楽しんでいるようにも思える。それは恰も、宇宙より降り立った神が自らの気に入った人間の世界を弄んでいるかのようである。
 
 
メフィラスは、団地の公園でブランコに乗りながら、そして浅草の居酒屋「一文」で酒を酌み交わしながら、自らの計画こそがベストな選択であるとして、ウルトラマンを引き入れようとする。結局、人間と飽く迄も対等に付き合いたいと言うウルトラマンを前にして交渉は決裂する。ストーリー上非常にシリアスな場面でありながらシュールでもあるこのやり取りは、人間から見れば神的な存在である外星人の間に於ける「秩序」観の相違が現れていると言える。即ち、人間を飽く迄も上から管理し愛護せんとする神と、人間を一種の友として愛する神との。
 
 
最も人間から懸け離れているのは、山寺宏一の声をまさに天の声の如く響かせるゾーフィである。今作での彼もまた原作のゾフィーと同じく光の国の使者だが、その役割は相当に異なっている。原作では、ゼットン星人が地球侵略のために用意した切り札である生体兵器の宇宙恐竜ゼットンに為す術もなく倒された瀕死のウルトラマンに自分の持つ二つの命の一つを与えて蘇生させ、ウルトラマンに帰還を勧める存在である。地球人の平和は地球人自ら勝ち取ることに価値があると彼は言うが、自分の命をハヤタに譲りたいと言うウルトラマンに感銘を受け、ハヤタも蘇生させ、ウルトラマンを連れ帰る。しかし『シン・ウルトラマン』のゾーフィは、それに比して圧倒的に冷淡である。彼は光の星の掟に非常に忠実に振る舞い、地球人類自身が(メフィラスのような外星人によって)生物兵器として悪用されてしまう可能性を危惧して、天体制圧用最終兵器ゼットンを起動させ、地球どころか太陽系そのものをその一兆度の火球で焼き切ろうとさせるのである。彼が現れた途端にかのメフィラスは、交渉が決裂したウルトラマンとの戦いを止めて逃散している。つまり彼は、人類の秩序を完全に超えた宇宙的な「秩序」の担い手なのであり、この点においてゾーフィは、人間社会の秩序に直接介入したザラブやメフィラス、そしてウルトラマンとも全く異なる。彼は、作品中に於いて最も神的な存在である。
 
 
当のウルトラマンはと言えば、禍威獣第7号ネロンガ襲来の折に逃げ遅れた子供を助けるために一人飛び出し、砕石の直撃により亡くなった公安出身の神永新二を見て、その献身に打たれて彼の生命と融合した存在である。以降、そのまま神永に成り代わって、禍特隊と共に行動し、禍威獣第8号ガボラが出現した時にはウルトラマンとして危機を救う。その後、にせウルトラマンに扮してかく乱工作を行ったザラブによって正体を全世界に暴露されてしまうものの、彼は一貫して禍特対の為に活躍し、ザラブを倒し、その後メフィラスと戦う。彼の姿勢は、一貫して人類と共にあることにあり、人類が危機に陥ればその超絶した力によって人類を救うことにある。ゾーフィの繰り出したゼットンに対して単独で無謀な戦いを挑んで傷付いた後も、禍特対、そして人類の知恵の助力を借りつつ、遂にゼットンを破壊するのである(その描写が何だか呆気ないものであった所がやや残念である)。
 
 
先に述べたように、私の見る所『シン・ウルトラマン』は、「外星人と人間の間で、人間世界を遙かに超える宇宙的な規模の秩序と、彼等と比すれば余りに未熟な人間の秩序の間の物語」である。東日本大震災を彷彿とさせるゴジラに対して日本政府が総力を挙げて徹底的に立ち向かう『シン・ゴジラ』のリアリズムでは、緻密で高度な国家の行政機構という「秩序」が克明に描かれていた。このような視点は「秩序」を措定し維持する神話的暴力とその危機の有様は描かれることがあるにせよ、そもそもそのような神話的暴力と「秩序」そのものを破壊するような神的暴力の激しい相剋は描かれることはない。そう考えた時、『シン・ウルトラマン』は、外星人という人間世界を遥かに超える神話的暴力の担い手達を描き出すことによって、人間にとっての神的暴力とは何かを比喩的に描き出さんとしているように思える。
 
 
実際、外星人達の凄まじい力に対して、本当に日本の官庁にありそうな禍特対の小さく平凡なオフィス、ザラブやメフィラスと同盟を結ぶ際の内閣閣僚のおどおどしつつも色めき立つような描写や、日本政府による「ベーターシステム」受領式の紅白の幕など、人間の「秩序」を担う政府の方は懸命さを見せながらも徹底して卑俗なものとして描かれている。『シン・ゴジラ』の時の戸惑いながらもきびきびと動いていく様子は、嘘の様に消え去っているのである。これが人間の(というよりは日本人の、であろう)普段の「秩序」だろうと言わんばかりに。
 
 
ザラブは国家という人間の神話的暴力に介入することで自らが擬似的な神話的暴力となって自己破壊をもたらそうとしたのに対し、メフィラスは同じく国家に介入する時、自らが人間の「上位概念」となることで自らが人類にとっての神的暴力足らんとした。メフィラスは、自らは何も暴力を行使することなく、「ベーターシステム」という強大な力を人類に与えることで、恰もブランコや居酒屋に座したまま人類の法を根本から塗り替えることを画策したのである。しかしこれも又、新たな秩序の措定という意味を帯びる以上神話的暴力の性質を帯び流のであり、擬似的な神的暴力でしかなかった。
 
 
対してゾフィーは、人間の領域を完全に超えた領域の掟に従ってゼットンによって全てを焼き尽くすことで、人間界に於ける神的暴力と神話的暴力の相剋そのものを、つまり人間の秩序そのものを丸ごと消去しようとした。つまり、人間にとって完全に神的な暴力を物理的に行使しようとした。それらに対してウルトラマンと呼ばれたリピアーは、そうした「神々の暗闘」の全てに抗って、高度な文明と知恵を有するものの相当に限局された力しか持たず愚かでもある人間の「秩序」そのものを、そして「死すべきもの」であるそうした人間の有限性そのものから出来する美質を何処までも愛するのである。
 
 
『シン・ウルトラマン』という作品は、禍威獣という強大極まりない生物兵器、そして別の大いなる「秩序」の中で動く外星人というアクターによって、人間の愚かさと卑小さが又同時に気高く愛すべきものであることを、また、その儚くも知恵のある努力によって維持される「秩序」の根本を逆照射したものであったと言うことが出来るのではないだろうか。
 
 
神話の後の世界には、人間の普通の日々の世界が待っているのであろう。ゾーフィに頼み込み、自らと分離させることで人間としての神永を復活させたウルトラマンの切願はきっとそこにあったのだ。
 

 (この文章はここで終わりですが、皆様からの投げ銭を心よりお待ち申し上げております。)

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