お寺からの手紙に、自分の身分を思い、惨めになった

 数年前に父が亡くなって、必然的に私が墓守に、という流れになった。それ自体は運命というか、流れというか、そういうものなんだろうと受け止めていた。

 しかし、先日にびっくりすることがあった。なんでもお寺の本堂の立て替えをするので、○×○円をお納め下さい、との手紙が来たのだ。確かに本堂は古い。父の葬儀の際や法事の際に何度か入ったことがあるが、立派ではあるものの決して広いとは言えず、なかなかの年代物なのは確かだ。それを立て直すための資金がいるということなんだろう。その趣旨には賛同するのだが・・・金額を見て目がひっくり返るほどびっくりしてしまった。とても私の収入で、子育てをしている状態で、支払いが出来るような金額ではなかったのだ。ちなみに我が家の墓は境内の中で、特段と良い位置にあるわけでも、広いわけでもない。檀家に順位があるのかないのか知らないが、今となっては遠方に住んでもいるし、檀家としては末席の方だろう。私が墓守になってからは、父の供養のこともあり、塔婆料やお布施は継続してきたが、そんなに沢山の金額をいれたことはなかった。父と比べれば若く、まだ子育てをしている者が墓守になったのだから、父の代と比較すれば金額もそれなりに減ってしまうのは致し方ないものと受け止めてくれているだろうと思っていた。

 しかしである。なんとも、ものすごい破壊力の金額が記されていて、我が家の通帳と照らし合わせるまでもなく、とてもじゃないが「考える隙もなく無理」というレベルだった。妻になんて見せられない。困ったなぁ、、、、ということで、先日に帰省した際に母と兄弟と相談した。結果として、無理なく出来る範囲の金額だけを収めましょう、住職には特に相談にはいかないまま納めましょう、ということになった。

 今ある墓を購入したのは祖父だった。詳しいことは知らないが祖父は商売で成り上がった人だったので、それなりに裕福であったようである。今思いだしても震え上がるほどに厳しい祖父だった。特に食事のマナーは厳しく、皿から食べ物をこぼそうものなら張り倒されて怒られた。晩年は囲碁や将棋を好み、良く対戦相手を努めていた。私は祖父に習って将棋も囲碁も好きだったが、対戦中は正座以外を許されなかったのが辛かった。怒った顔と、くっしゃくしゃの笑顔とが両極端な豪傑だった。父から聞く限り、祖父はかなりの金額をお寺に寄付していたようである。お金を貯め込んで残すよりも、目的のために使うことを優先したそうである。

 そんな祖父は私が学生の間になくなったのだが、葬儀の後に父から聞かされたのは我々兄弟の大学進学にかかる費用は相当部分を祖父が援助してくれていたということであった。それ以来、私はその感謝を伝えるために、(滅多に戻らないが)帰省する度に墓参りをしていた。結婚したら妻を連れて、子供が生まれたら子供を連れて、墓参りに行っては祖父に話しかけていた。父が亡くなり墓守となった今も、帰省の際には必ず寺には行く。父がお世話になったこともあり、近年は墓参りをする際には住職に手土産を持っていき、ご在宅であれば挨拶程度の会話をすることもある。

 なので住職は私の出身大学も、現在はド田舎底辺大学の教員であることも知っている。穿った見方だろうとは思うのだが、住職は大学の先生の給与を知らないのではないだろうか?大学の先生だったら、これぐらいは稼いでいるだろうみたいな幻想から、○の並ぶ数字が出てきたのではないか?と考えてしまうのである。

 大学教員の収入はピンキリだ。私は大学以外から給料を一切貰っていない。つまり副収入は一切ない。ダブルインカムでもない。その場合、どの程度かというと、大学の同期の収入の半分以下である(それでも、このド田舎では中流階級だ)。おまけに稼げるようになるまで随分と時間がかかっているため、生涯年収も高くない。先生によっては副収入に精を出す方もいるが、私はそんな時間があったら自分の研究を進めることに時間を使う。若い頃は何事も勉強と思って非常勤で講義に行ったりもしたが、今や時間に追われているうえに、その気力もない。今の収入は贅沢は出来ないけれども、このド田舎で住まいを借りて家族で慎ましく生きて行くには足りうる収入だ。ド田舎底辺大学のド底辺研究者として身分相応じゃないかと思っている。

 しかし、大都会の民間会社で頑張っている大学時代の同期の人達と比べれば私の収入はかなり低い方だろう。卒業した大学や現在の職業、そういうものを全て把握して、さらに祖父の代からの寄付履歴などなどが、あの数字を導き出したんだろうと思うと、納めた金額とのあまりの差に申し訳ない気持ちで一杯になる。私は祖父ほどの稼ぎはないのです。ごめんなさい。大学教員の給料に対する幻想みたいなものが世の中からなくなれば良いのに、と思うのである。

 次に住職に会うのがとてもとても心が重い。私は住職が思っているほどの人間ではないのだ。がっかりさせてしまっただろう。私の収入を知らないのであれば、けちな野郎と幻滅させてしまったことだろう。こんなにもお寺のことが憂鬱になったのは初めてだ。あの空間はとても好きなのだが、もはや墓参りも憂鬱なものとなり、どうしたものかと心が重い。父が手帳に書き記した日記には「お寺との付き合いはほどほどに」とあった。「ほどほど」とはこれほども難しいのか。遠方であるし、色々と一から考え直さねばならない時が来ているようにすら思う。それほど途方もない金額だった。

 もはや私はあの寺にふさわしくない人間となったのだ。それぐらいのダメージだった。

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