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233_普通人間

私が私であるということ
人間っていうものは勘違いをしながら生きている。
SNSで可愛い子を見つけたら、その子になるために、その子が使っている化粧品を購入する。東大卒、医学部卒、〇〇社長、など世間一般的にお金持ちだったり優秀だったりする肩書きを見せられると「すごい人」なんだなと思ってしまう。
実際は、SNSに投稿している写真だけが可愛く写っているだけかもしれないし、紹介している化粧品を使っていないかもしれない。
東大卒でも、社長でも、全く勉強をしていない分野においては素人に決まっているし、その肩書きがそもそも嘘かもしれない。
要するに「すごい人」と思われている人々は見せ方が特段上手いのだ。


と、普通人間の私は思っている。


私は、子どもの頃、自らを唯一無二の存在だと思っていた。まあ、人間はそれぞれ違う顔だし考え方も違うし、当たり前に唯一無二の存在なのだ。しかし、私は特別飛び抜けていて、スキルもあり、人気もあり要するに、「すごい人」だと自負していた時期があった。何でそんなことを思っていたのかわけわからんが、多分高校生くらいまでは思っていた。狭い世界で生きていたんだな。井の中の蛙大海を知らずですね。
それからは、挫折があり、私の認識が180度変わり、今では「普通で一般的な人」と思っている。この「普通で一般的な人」というのは考えや感じ方、生き方などのこと。

私は普通だ。

普通が故に、ありきたりで面白くないし、刺激がない。普通の話しかしない。体力も普通だし、収入も、仕事も普通だ。
普通人間は何をする時も普通だ。興味があることも、お金を使うところも、着る服だってみんなと同じで普通なのだ。

私が感じることはみんなも感じていて、私が考えることはみんなも考えること。
普通人間の私が思うことは、みんなが思っていること。
しかし、私は、そんなふうに思っていた。と過去形で表す。


大学に登校することが多くなった私は、友人と話すことが多くなった。そこで気付いたことは、みんなカメラや写真に興味があるのだが、私ほどではない。パソコンに興味があるのだが、私ほどではない。私の興味がないことに、興味がある人もいる。
普通でありきたり。普通の大学生である私と同じ大学生である友人は、私とは全く違ったのだ。私がやってきたことをやってこなかったし、興味すら示さなかったことを私が一生懸命だったりする。

普通と思ってきたものが、普通ではなくなんかちょっと違った。
私を普通として疑わなかった私が、普通だけどちょっと違うって気付いた。
私は、普通の私を勘違いしていたし、普通の友人たちを勘違いしていた。


人間っていうものは勘違いをしながら生きている。
SNSで見る「すごい人」を見て勘違いをする。肩書きだけを見て勘違いをする。自らを勘違いしている。
私は普通だけど、考えていること感じていることは他の普通の人と全く違う。経験してきたこともこれから取り組むことも全く違う。
その勘違いに気付けたら、私が私であるというアイデンティティが見つかるかもしれない。そんな小さいきっかけが。


noteは、普段考えていることを文字で吐き出す
Instagramは、普段考えていることを形にして表現する

写真撮っているので見てください
https://www.instagram.com/ganometherapics/?hl=ja

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