無痛で生きたいのはいけないこと?
今思えば、私は無痛だった。
今日は、きらきらの育児ライフのはずが、気づいたら心が無痛になっていた話を聞いてください。
気づけば体力を消耗しないように過ごすことが当たり前になっていました。
息子が泣いたら抱っこするのはこの私。ミルクをあげるのも触れ合うのもこの私。
泣いたら息を止めてしまう息子がいるのに、(泣き入り引きつけがありました)
私の体力が尽きてすぐ抱き上げられないなんてことがあれば死活問題だった日々。
そんな毎日を過ごしているうちに、
私はいつどんな時でも、省エネモードで生活することが大前提になった。
美味しいご飯を食べるときも、
大自然に癒される時も、
まだみぬ土地に足を踏み入れた時も、
親友の結婚式があったときも。
素敵な出来事であることは理解しているし、感動する場面でうるっと涙を流すこともあるけれど、なぜだか私が私でなくなる。
それは、まるで自分がそこにいないような感覚。
今日は育児から解放されて自分の時間を楽しむ!
そういう日こそ、
私の意思は、そこにいる私のものではないような感覚になっている。
省エネモードで節約するもう一つの理由は、息子が寝た後にも私にもすべきことがあるためだ。それをこなしていくためには体力を温存させておく必要がある。
(ちなみに、あくまでも私の場合は、旦那さん起因で心が無痛になったわけではないことを先に記しておく)
旦那さんはとっても寛大な人。家事が疎かでも文句ひとつ言わないし、ご飯の準備が遅くても待っていてくれる。週末には自分から先陣をきって床掃除をしてくれることもある。
亭主関白な家に育った私からは、まさに仏のようなありがたい旦那さん。
ただただ、その時の私には省エネモードでの生活が必要だった。
毎日のタスクが自分の体力に見合わないからこそ、
省エネモードは自分と息子を生かすために必要な術だった。
まさか、体力温存するための省エネモードが心まで省エネモードになるなんて、その時には一ミリも想像しなかったことが起きていた。
心が省エネモードになることは無痛になることを意味する。
心が享受すること、いわば感じることを疎かにしているうちに痛みを感じなくなっていた。
心としての活動にセーブをかけている状態。
そんな状態になれば、
純粋に物事を楽しめなくなるし、感覚を研ぎ澄まさないと何も感じない。
自分も大事なことを忘れた感覚になるし、
一緒にいる周りにもその空気を分けてしまう。
一人の覇気のなさは周りに伝わってみんなの最高ハッピー!に影を落とすはずだから。
一緒に感動できる喜びを壊してしまっていないか心配になる。
しかし、これはその時を振り返ってそう心配になるだけで
その場にいる私は自分が自分ではないような感覚と、
感情が動かない、まるで自分がその場にいないような感覚に陥っている。
育児中でもそうでなくても、皆が一度は経験があるのかも知れない。
これ以上傷つきたくないから。
これ以上悲しい思いはしたくないから。
これ以上辛い思いはごめんだから。
お仕事においても、人間関係や恋愛においても、自分の心の平和を保つために
心の無痛を気にして痛みを感じないための行動の選択をしているのかも知れない。
理由はともあれ、世の中には自分一人で消化が必要なものが多すぎる気がする。
だから私はこう考えるようにした。
あまりに無痛になりすぎて心が、体がゆうことを聞かない時は、きちんと専門の先生に診てもらう必要はあるけれど、
少しの無痛は、また痛みを感じるために必要な行為なのかも知れない
何かをきっかけにして、再びカラフルな日常を送るために必要なことなのかも知れない。
そう考えると、心の無痛も可愛く思える。
そんな自分も愛せたら、またカラフルで色鮮やかな毎日に出会えるかも知れない。
そのように考えることができたのは心の無痛を一定期間味わった後です。
自分の時間を確保して、スマホ以外の趣味を見つけて少しづつ少しづつ無痛が緩和してきたように感じます。今は日中に活動したいよくがたくさん出てきています。
自分が自分でないような感覚は、自分から見て感じていることである。であれば自分である感覚も、自分でない感覚も全部自分である。
極論は過ぎましたが、今日はこの辺で^^
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長い文章にお付き合いいただきありがとうございます。
上記のように考えることができたのは心の無痛を一定期間味わった後です。
自分の時間を確保して、スマホ以外の趣味を見つけて少しづつ少しづつ無痛が緩和してきたように感じます。今は日中に活動したい欲が溢れていますし、お花を生けて美しいと感じる心にもなっています。365日子供と一緒の生活はかけがえない日々ですが、親が輝いた目をしていないと子供も輝けませんよね。
たまには離れてみること。時間を確保できるように夫婦で話し合うこと。課題はたくさんあってもそのひとつ一つの行動全てが心の健康に一役かうのかもしれないですね。
今回は、心の無痛は、実は人生において必要なピースであるのかもしれないということを私の実体験をもとに皆さんに共有させていただきました。
私も旦那さんも両親が遠方におり、夫婦で二人だけ育児をしている26歳のママです。
頑張りっこ(先天性の障害を持った息子がおります)のママですが、
どんなお子さんを育てるママでも孤独な育児が全くないわけではないと思います。
産後うつ、育児ノイローゼなど軽視してはいけない部分ももちろんありますが、
そうなる前に、気持ちの面で自分の首を絞めてしまわないように、
これでいい。
こんな時もあるさ。
こんな自分もありじゃん。
そんなふうに、育児前と比べて変わったように感じる自分の感覚も感情も体も
全て、一旦受け入れて愛してみることができれば、
胸の締め付けから解放されて少し楽になった状態で毎日を送ることができるのかもしれません。
この文章を読んでくださってありがとうございます。
もし、読んでくださった方のかなに共感や意見があればお聞かせください。
この文章が誰かの心のつっかえを解せることができれば嬉しいです。
また次回お会いしましょう。
頑張りっこママのかなでした^^