私の中の「怒りの番人」
最近ふと、私の「怒り」について内省する機会に出会った。
これもnoteを書き始めた副産物なのかもしれない。
私が烈火の炎のごとく怒りが込み上げているとき、
常に私の中で「怒りの炎」に薪をくべている奴がいる。
今ここに、私の怒りに着火する出来事があったとする。
すると私の場合、
・誤記が強くなる
・話しかけるなオーラが全開になる
・(特に想定外のトラブル時)焦りで思考が完全にストップする
といった初期症状が出る。
特に3つ目に関しては一応考えようとしているのだが、
怒りに身を任せた状態でまともな考えなんぞ到底思いつくはずもなく、実際問題まったくもって何も考えられていない。
「こっちは今必死に考えてんだよ」アピールをしてるだけで頭はずーっと空回りしてる。これも自分自身の心を守る防衛反応なのかもしれない。ただこうしてみるとただの迷惑野郎ですね私、本当にすみません。
話は戻って、この時の頭の中は「怒ること」に全力投球しているためそれ以外のことで頭を使おうとしたところで、容量オーバーによる思考フリーズをしてしまう。結局使い物にならない。
で、この初期症状が済むと第2フェーズに突入する。
ここで例の「怒りの番人」が登場する。
こいつが一体何をしているのかというと、蒸気機関車の機関士よろしく常にせっせと石炭を放り込み、ガラス職人のようにかまどの中の工芸品に息を吹き込んでいく。そうしてどんどん怒りがさらに膨れ上がらせる。
まぁたとえ話なので実際の話をすると
脳内で勝手に怒りの原因を「反芻」をしているのである。
世間でいう「アンガーマネジメント」じゃ、そういうのは良くないって散々書かれてるやつだ。
おそらくこの時の私の頭の中では若干脳内に余裕ができ始めており、
本来ならばここで理性によってストップをかけてやるのが、アンガーマネジメント的には正解の対応で立派な大人の立ち居振る舞いということなのだろう。
しかし私はというと残念ながらそのわずかに生まれた理性はINFJの強みである高度な分析が挟まれてしまうためか、
(なんで自分がこんな目に)
(私だけじゃなくて、アイツもまぁまぁ非はあるよね?)
(よりによって忙しいときに何してくれとんじゃ)
と、冷静に物事を見始めてしまったがために余計な追加の怒りを発してしまうわけだ。
これが、「怒りの番人」の正体である。
しかし、この番人は冷静さを欠いた単なる邪魔者なのかと言えばそうでもないらしい。
というのも、
彼らの真の目的は「怒り」を悪化させるのではなく
早く燃え尽きさせようという魂胆なのではないだろうか。
INFJで検索すると、いろいろ言われてはいるが
「あんまり怒らない」
「優しい」
とか書かれることがあるが、
めったに「怒りを外に出さない」だけで「人に対して怒らない」ということではない。
人によっては心の世界で地獄の業火で埋め尽くされているほどめちゃくちゃ怒ってることもある。しかしながら周りはそれに気が付かないだけでさらに怒りを燃え上がらせるまでがテンプレだったりする。
そこで理性的な自分が「その怒りを表に出すまい」として抑えてこんでしまっているところもあるため、
(長々と怒りをため込むくらいならさっさと燃え上がらせてエネルギー切れを起こしてしまえ)
ということで、この「怒りの番人」に白羽の矢が立つという仕組みらしい。
そう考えると、あながち彼らのやり方もそれなりに的を射ているような気がしてくる。
少なくとも私の中には、こうした強固な心の機構を支える存在がいることは確からしい。