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自惚れと悩み
小学校から中3までで何回か、三者面談で私の性格について担任の先生から指摘を受けたことがある。
共感力(特に悲しさ)が無いせいで、「人を傷付けて友達がいなくなる」とか「クラスで浮くかも」とか「万人受けしない性格だ」とか。子供に言うにはけっこう厳しい内容だな。だから親に言うのか。
先生が懸念した通り、恐らく自分の共感力は低めだと思う。
煽りとかではなく、なんでこれが悲しいんだろう?みたいなことがよくあるし、昔からの友達に、(聖書だこの言動が原因で)傷付いたことや泣いたことがある、という報告を受けたりすることもある。もちろん私に悪意はないし、友達もそれを分かってて風化してから教えてくれるんだと思う。
幸い、プラスの感情については私と世間で感覚のズレはあまり無さそうで、これまでの人間関係はおおむね良好だと思う。人が喜ぶことするのが好きだからそういうシチュエーションの方が多いし。
あとは大人になるにつれて、これ言ったらこのタイプ人は悲しむ、みたいなののケーススタディが蓄積されている。
とはいえ、社会に属する人間なら大人も子どもも関係ない"相手の立場になって考えましょう"の公式が使えないのは、数少ない私の悩みでもある。相手の立場に立って想像、までは出来ても解が出てこない。
そんな私だが、恋愛や人間関係の相談をしてもらうこともある。
「その人はこう考えてるから、そういう行動を取ったんじゃないか」みたいなのを考えるのは好きだし、自惚れかもしれないけど、「こうしたいんだろうな」「こういう考えで行動してるんだろうな」、みたいな相手の意図を読み取るのは苦手じゃないと思う。フィードバックは無いにしても30年生きてたら得意か不得意かは見当がつくだろう。
共感力が低いと言いながら、人の考えを読み取るのは得意だと言う。どっちやねんと思ってたけど、最近矛盾してはいないことに気がついた。
例えば、『Bさんに何かされて悲しかった』みたいなシチュエーションがあったとしよう。Bさんの行動が一見誤解が生まれそうな内容だったとしても、相手の意図が分かれば悪意がないことも理解出来るかもしれないし、悪意がないなら私は悲しくならない。
全てがこれに当てはまる訳では無いだろうけど、大半のことは実は思い込みで、悲しまなくてもいいことなのかもしれない、と私は思う。そうじゃないとみんなの悲しいのハードルが低すぎる。
つまり、相手の意図を読み取れるからこそ、そこに悪意が無いことにも勘づけるし、自分が悲しまないから、相手が悲しむことを想像出来ない(共感力が低い)んじゃないかということだ。
シンパシーは当然無いんだけど、エンパシーの能力も皆無なんだと思う。
でも、前述の通りケーススタディが進んだことで、悪気なく人を傷付けるような言動を取ることは少なくなったと思う。まあ大人になって誰も指摘してくれなくなっただけの可能性もあるが。
私は人によってめちゃくちゃ態度を変えるタイプなんだけど、"Aちゃん"という友達に対してはいつも最大出力で気づかいをしている。そんなAちゃんにこの間、「聖書だこはちょっとずつ変わってきている」、と言われた。
話を私なりに解釈すると、昔は共感力が少なく思考回路がガラパゴス化していたため発想が独特で面白かったけど、最近は人に寄り添った考え方の比重が増えて優しくなってきてる。そして悲しいことに、従来の方が聖書だこらしくていい、とのこと。でも勝手に気づかいモードに入るからどうしようもない。Aちゃんは万人受けしないと言われた私の性格を気に入ってくれていた古参ファンだったのだ。
予備校時代からの友達にこの間、聖書だこはほんとに変わらないな、と真逆のお墨付きを貰ったばかりだった。やっぱり人によって態度が違うんだろう。
色んな人と関わって、全然違う文化を吸収させつつ角を削って理想の人格を醸成させていくのが、人生における良いコミュニケーション術だと思っていた。しかしファンを減らすのは本望ではないので、あまり自分の角を磨耗させないようにしたいな、と思った。
令和ロマン2連覇おめでとうございます。
でも私はトム・ブラウンの感性も嫌いじゃないしお腹捩れるくらい笑いました。
おわり!