「農家はもっと減っていい」久松さんの講演会。
佐久で開催された久松達央さんの講演会に参加してきた。
久松さんといえば、近著のこちらが話題。
果たして、本当に農家はもっと減っていいのだろうか。
例えば、僕が耕作している田んぼでは、毎年4月に用水ざらいという作業をする。田んぼに水を引くために必要な用水だけど、秋、冬と水を使用していない内に、泥や落ち葉などが堆積してしまう。
そのため、水を使う前の春にその用水を使用する耕作者が集まって、みんなで掃除をするのだ。
この作業は、田んぼの場所ごとに作業があるので、どうしても日程がバッティングしてしまうことがあり、そういう場合は事前に自分だけ作業をしておくということもあったりする。
それで、その用水ざらいの作業なんだけど、段々と参加人数が減ってきているのが現状である。だから自分が行けない時には、その分作業を自分がやっておかないと、他の人への負担が大きくなってしまう。
そういう意味では、農家が減ってしまうと大変困ってしまう。
コミュニティで維持していたインフラが、維持できなくなってしまうのだ。
ただ、減っていいと改めて言う前に減ってきているのが現状。
言わなくても減ってるよ!と言う感じ。
当然、田んぼを耕作している人も年々減っている。
僕が佐久に移住して田んぼの研修を始めたのはもう13年前。
そのころでも少なかったのだろうけど、まだ田んぼの作業をしている人がいたと思う。今は農繁期でも人が少なくなっているのを感じる。
実は農協の部会の集まりがあって、久松さんの講演会は全然聞けなかった。
(本は全部読んでるけど)
途中のグループワークから参加できたので、途中参加させていただいた。
本に書いてあったことを思い出すと、農地として維持すべき場所と維持すべきでない場所がある。とか、既得権益を手放してもらって、もっと農地を流動的にして、ガチでやる人に農地がまわるようにした方がいい。と書いてあったと思う。→そう言う方向に国の施作をすべきと。
僕の耕作している浅科地域であっても、耕作放棄されている田んぼもあれば、ぜひ作りたいと人気の田んぼもあったりする。
農地の流動化についてはどうだろう。
なかなかそれについては意識的に動いている人もいないし、具体的な事柄は思いつかない。
昨日のグループワークでも、定年してからご自身の家の田んぼを耕作し始めて、そこから請け負って田んぼをやって面積を広げてる人がいた。
商売というわけではないけど、日々の運動とかやりがいとか、そういうことで農業をしている方だ。
僕の解釈では、久松さんの本では、仕事として農業をやってない人は辞めるよう促しているように捉えられた。でも、上記のような方が田んぼを辞めるという理由は見当たらない。社会のためと言って、あえて引退するという人が現状でいるのだろうか。
正直、それはシステムの問題なのだろうなと思う。
懇親会でも久松さんや参加者で旧知の皆さんとおしゃべりできて、本当にいい時間を過ごせた。
がん!がん!がん!