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クリスマスとサンタと、おばあちゃんのぬくもり


幼少の頃。クリスマス近くになると、父は必ずホールのクリスマスケーキを持ち帰ってきた。
会社の組合の物販で安く買えるから、という理由らしかったけれど、誕生日にもお目にかかれない、真っ白な生クリームの上にイチゴとサンタクロースのシュガークラフトなどがちょこんとのったまん丸デコレーションケーキ。ワクワクしながらその箱の扉を開けるのは、末っ子の私の特権だった。

やがて切り分けられて私のところにやってくるケーキの上に、シュガークラフトのサンタがのせられているのも末っ子の特権だったが、実はシュガークラフトが苦手だということはずっと言い出せなかった。兄のケーキの上には、サンタクロースの次とランク付けされた、おうちの形をしたチョコレートの飾りが必ず乗っていて、私はそれをいつも羨ましく眺めていた。
ケーキのおまけみたいな感じでついてくる1本のシャンメリーは幼心に特別な味で。一口、口に入れるたびにちょっとだけ大人になったような気分に浸っていた。

クリスマスツリーは私が生まれる前、4つ上の兄の為に買ったものを飾ったり飾らなかったり、だったと思う。古い思い出はもうセピア色に変わりつつあり、少しずつ曖昧さを帯びてきているのだけれど、我が家の雰囲気からするときっと違いないと思う。
そのツリーは今、実家の姪っ子、つまり兄の娘達が現在進行形で毎年飾りつけをしている。40年以上の時を経て大切にされているクリスマスツリーなんてそんなにないわよね、と、誰よりも喜んでいるのは姪っ子たちの祖母である私の母に間違いない。



まだ昭和だったころの、里山に囲まれた辺境にある我が家のクリスマスは、父のクリスマスケーキと、気まぐれに姿を見せるクリスマスツリーだけ。それっぽい食事が食卓に並ぶという事もなく、今思えばとても質素だった。でもやっぱり、心躍るようなスペシャルな気持ちはいつでもあって。高鳴る心をこっそり隠しながらその日を迎えるのだけれど、我が家にサンタクロースはやってこなかった。

お互いに辺境の地で生まれ育ち、大正生まれの親を持つ父と母の元にサンタクロースがやってきたことはきっとない。そもそもクリスマスという風習自体がなかったはず。そして共に子供に対しての愛情表現が相当に不器用な二人は、サンタクロースになりきることができなかったのだろう。それが、毎年不慣れな手つきとぎこちない動きで、母にクリスマスケーキの箱を渡す父の姿に現れていたのだと今でこそ理解出来るが、当時の私は勿論そんなことを理解できるはずはない。
絵本で読んだ通り、いい子にして早く布団に入っても、全然やってこないサンタクロース。

「どうして私にはサンタクロースが来ないの」


ある年のクリスマスイブ、私は泣きながらそう言った。そう、泣きながら。その場面は鮮明に覚えているけれど、それをどうなだめられたかは覚えていない。
記憶にあるのは次の日の朝、目覚めると枕元に二つのプレゼントが置かれていたこと。ざくっと四つ折りにされティッシュに包まれた千円札と、どこかのお土産らしい、絵馬の形をした手のひらサイズのキーホルダー。
それを見た瞬間、サンタクロースはおばあちゃんなんだとはっきりと分かったこと。

ティッシュに包まれた四つ折りの千円札は、いつも祖母が誰かにお小遣いをあげるときの包み方だったし、キーホルダーはずっと祖母の箪笥のガラス戸の中に入っていたものと同じだった。
誰もいないことを確認し、そっと祖母の箪笥を確かめると、あったはずの場所からキーホルダーはなくなっていた。
サンタが来ないと泣いた孫を思った祖母は、おそらく泣き寝入った私の枕元に、ありったけの知恵を絞り、思いを込めてプレゼントとしておいてくれたのだろう。
幼心にその光景を想像した私は、何とも、誰にも言えない複雑な気持ちを心の片隅にそおっとしまい込んだ。そしてそれ以来、サンタクロースの事を父と母に言わなくなった。

みんな、大人になっていく階段のどこかで、サンタクロースの魔法が解けていく。
私の魔法は、ちょっと予想外の形だったけど、こうして解かれた。

こえだちゃんの木のおうち、どんじゃら、ファミコン
サンタさんに願ったプレゼントは、結局一度も届かなかいままだった。
友達の家に遊びに行って、そこに自分が欲しかったオモチャたちが当たり前のようにあるのを見るたびに、心の中の小瓶に涙を集めては蓋をした。



親になったこの頃は、幼い頃のこのクリスマスの出来事をよく思い出す。勿論、悲しいものではなく、くすっと微笑んでしまう楽しい思い出として。そういえばあの時の千円どうしたっけなぁ、なんてことも思ったり。

そしてもう一つ、大人になって気づいたことがある。

父と母は仕事が忙しく、私たち兄妹は随分小さなころからずっと祖父母と一緒に寝ていた。
昔ながらの農家作りの家は、冬になると家の中でも底冷えする。
私と兄は決まって、おばあちゃんの布団の左半分を取り合う。
二人とも同じ綿布団なのだけれど、なぜかおばあちゃんの布団は湯たんぽとか電気毛布を入れているかのように温かい。勿論、どちらも入っていない。おばあちゃんの体温がそうしているのだ。

そしておばあちゃんは、「寒いからばあちゃんの太ももの間に足いれな」と言って足先を温めてもくれた。ふくよかなおばあちゃんの太ももは温かいし柔らかいし。何よりきっと、その体温を全身で感じながら眠りにつきたかったのだと思う。私も、兄も。

ある時、じゃんけんに負けた私は渋々おじいちゃんの布団で寝ることになった。
寒さといつもの癖でおじいちゃんの太ももの間に足先を入れてみると、筋肉の硬さと骨ばった感じで全然落ち着かない。結局なかなか眠れなかった。

年頃になり、自分の部屋がほしいと自然とおばあちゃん離れをしたのは小学校中学年か高学年の頃だったと思う。
1歳くらいから小学校の途中まで。随分長い間おばあちゃんのぬくもりを感じながら夜を過ごしていた。
セピア色となり、ぼんやりと輪郭が消えていく思い出が年を重ねるたびに倍速で増えていくけれど、このぬくもりの記憶は今でも全く色あせることはない。
あの頃仮にサンタクロースが、欲しいと願ったプレゼントを届けてくれていたとして。間違いなくそれはとても嬉しいし、素敵な思い出として残っていただろう。でも数十年経った今、このぬくもり以上の思い出として自分の中に残ってはいなかった気がする。それは、私が寂しがり屋だったから余計なのかもしれないけれど。


思い返せばおばあちゃんとの日々はプレゼントをもらってばかりだ。形として残ってはいないそのプレゼントの輝きは、年を重ねるごとに増している。布団の思い出はその中の一つに過ぎないけれど、おばあちゃんは一生ものの、こんなにも大きくて、なによりも素敵なプレゼントをさらりと届けてくれていた。ばあちゃんは間違いなく、私のサンタクロースだった。



今、我が家には毎年サンタクロースがやってくる。
息子のクリスマスツリーは毎年リビングを彩っている。
7歳の息子は欲しいものがそれはそれは沢山あって、今年はいまだにサンタさんにお願いしたいプレゼントが絞り切れていない。早くサンタさんに手紙を書かないとサンタさんが困っちゃうよ、といよいよせかしてみるものの、どうにもならないらしい。そうだよね、7歳だもの。
まあきっと、サンタさんは何でもお見通しだから、きっとクリスマスの朝、サプライズをしてくれると思うけどね。

そういえば、学校でいろいろな年代の友達と触れあうようになったからか、サンタの魔法がほんの少しだけ解け始めているようにも感じる。
もう少しの間、魔法にかかっていてほしいと勝手に思っている母は、”海外のある国ではサンタをレーダーで追跡してリアルタイムでその足跡を見れるんだよ” なんていう話を盛大にして、新しい魔法を一生懸命かけているこの頃だ。

でもいつか、魔法は完全に解けてしまう時がくる。

どんな風に魔法が解けるのか、その時君はどんな風に感じるのか。母は今からちょっぴりドキドキしている。
だから私は、この冬、おばあちゃんの布団の話を息子へプレゼントした。眠りにつく前の一冊の本に変えて。
それ以来息子は、眠りに入るときは必ず私の太ももの間に足先を入れてくるようになった。

息子が生まれてからずっと、息子と布団を並べて毎晩寝ている。
いつまでこうして、母と布団を並べて一緒に寝てくれるのだろうか。
案外その日はすぐにやってくるのかもしれない。
いつまでも甘えん坊で、意外とその日はまだまだ先なのかもしれない。

そうして、やがて息子が大人になった時。どんなクリスマスの、冬の思い出を懐かしく思い出すのだろう。
願わくは、サンタクロースからのプレゼントの思い出と一緒に、おばあちゃんの布団の話と、今この布団の中で感じるぬくもりを忘れないでいてくれたら、君のサンタはとっても嬉しいと思うんだけどな。


メリークリスマス、ばあちゃん。

メリークリスマス、息子くん。


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