さぬき映画祭と私
2013年、私はさぬき映画祭と出会った
社会人2年目の夏、新聞の
114銀行の香西志帆監督が新作を作る
みたいな見出しの記事に釘付けになった
銀行員で、映画監督!?
同じ銀行員として、気になって仕方ない存在で憧れに変わった
それから2014年の冬、はじめてさぬき映画祭に足を運ぶことになる
初めて観たのは
図書館戦争
原作もアニメ版も実写版も全部観ていて、監督がはるばる香川で舞台挨拶をするというので、私はうどん持参で映画館に行った
手にはパンフレットとDVDBOX
そして、うどんとサイン色紙←
抜かりなく、仕事を5時に片付けて、イオンシネマ綾川にまっすぐ向かった
図書館戦争の他にも映画祭期間中はこれでもかってくらいに映画を観た
攻殻機動隊の脚本の藤咲淳一さんに出会い、お友達になったのもこの年だ
2014年からさぬき映画祭を追いかけて、2014年の夏
シナリオ講座
に挑戦することになる
映画が好きだったか?
と言われたら、それまでは
ふつう
だった
高校は空手道部で暑い日も寒い日もずっと体育館で空手道して、全国大会を目指す日々だったし
大学は少林寺拳法部で週3回に変わったけど、上を目指して修練する日々だった
ただし、大学の友達と
ジブリを観ながら、ジブリ飯を食べ隊
を結成して、夕方集まって、レンタルで借りたジブリを片っ端から全部観た
高校は勉強と部活で青春が終わったけど
大学のある
宮崎は民放が2ちゃんねる
で、テレビという娯楽もなく、当初はテレビも買わなかった←友達に貰った
それ故にDVDとインターネットにはだいぶお世話になった
双子だからか兄の影響はかなり受けて生きてきた
兄は大学で映像制作サークルに所属していた
一度大学に遊びに行って、毎月公開されるショートコント動画を楽しみにしていた
私と真逆の内気な性格で、いじめられた経験もある兄がコント番組で楽しそうにコントしてるのを観るのがとても嬉しかった
こんなに楽しそうな兄を見たことがなくて、兄の大学の友達には今でも頭が上がらない
そんな兄の姿をみて、
私も楽しそうだから、映像制作をやりたい!
と思った
さぬき映画祭でどハマりして
夏に
シナリオ講座
をみつけて、受講料もまあまあしたので、友達も誘えずに一人で行くか悩んでツイートをした時にリプライをくれて、背中を押してくれた
藤咲淳一さん
である
藤咲淳一さんは攻殻機動隊、ダイヤのA、ポケモンなどの脚本をされている雲の上の存在である
写真はさぬき映画祭公式うどんツアーの藤咲さんさんとうどん脳ちゃんと私
さぬき映画祭の講座に参加して、さぬき映画祭に挑戦しつづけて、まる5年が経った
県庁の方から大量のリーフレットが届き、毎年1000近く配りまわり、ポスターを貼りまくり、メインプロデューサーの本広克行監督や憧れの香西志帆監督にも覚えて頂けるようになった
大林宣彦監督とお話したこと
富野由悠季監督にショートムービーを観て頂けたこと
凄い貴重な経験をさせて頂いている
コロナ禍で、2021年はもしかしたら、開催できないかもしれない
リモート開催かもしれない
開催しても規模はかなり縮小されることだろう
けど、さぬき映画祭で学んだこと、経験できたことを私は人生で活かしていきたい
シナリオ講座であらすじや企画書の書き方を学んだ
そして、映画を作る楽しみを学んだ
お陰様で、仕事も忙しいけど、映画や映像を楽しみに仕事で目標もできた
沢山、断られたり、諦めたりしたこともあるけど、まだ懲りずに折れずに企画書を書き続けてる
挑戦すること、作ることは間違いなく私の人生を楽しくしてくれている