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後ろ向きには歩けないけれど

人間、背中を前にしては歩けない。
お尻は足を進ませてくれないし、背中には目はないし。
通常前を向いて進んでいるとき、振り返って後方を確認する。


概念的にというか、気持ちは後ろを向きがちではある。
いつかうまくいかなかったことを思い出して落ち込んだり、折角の遊びの予定にも相手はかえって迷惑に思っているかもしれないだとか、他人の思考を勝手に想像して心拍数をあげたり。

「人の言葉は善意に解釈したほうが五倍も賢い」

冷静になって考えてみれば、後ろ向きに考えていたことはただの心配だし、勝手な憶測で大変失礼なことばかりだったりする。



たった今、この瞬間に集中して生きることの何と難しいことか。
本を読んでいる瞬間だとか歩いている最中も、その行為とは別に頭は思考を巡らせている。

「神はわれわれを人間にするために、何らかの欠点を与えた」

先の言葉に続いて、上記もシェイクスピアの言葉だ。
こう見ると、欠点のない、非の打ち所がない人間は神なのだろうという方程式は納得がいく。
困ったことにこの欠点を内包して生活することを、許容することができない時期が存在する。

後ろ向きには歩けないけれど、後ろ向きに思考することはとてもスムーズで、それは底なし沼のようなもので、もがきながら、僅かながらもその淵から脱出しようとする方が難しいのである。

ああ、今日も後ろを見ていたら夕陽が背中を照らしている。

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