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なんとなく思い出したことなど

星野源さんの「いのちの車窓から2」を読みました。
書かれているのは2016年から2024年までに渡ります。この8年間、世の中は激動したと言っていいですよね。この期間の星野さんの変動も淡々と書かれています。

子供の頃には「生きづらい」ところも多かったのに、だんだんとそれを克服していって、大きな病気をして、回復して、ものすごい売れ方をして、そこからも安定しない日々を生きているさまが描かれていて。

あー。
やっぱこの人のこと好きだわ。
そう思いました。

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自分の子供の頃のことなども思い出したり。

わたしが中高生の頃、うちにはカメラがありませんでした。というか、実際には一台あったのですが、父がフィルム入れっぱなしで現像に出さず、なのでそれ以上撮れない状況でした。なんだろ単純に面倒だったのかな。
なので、修学旅行とか遠足とかみんなカメラ持ってくる子もいるなかでまったくそんな立場にはなれず、誰かの焼き増しをいただくのみ。「写真を撮る」というのはわたしにとってものすごくハードルが高い、なんなら「お金持ちの特権」くらいに思ってた気がします。

もう一つ、カメラに憧れてた理由があって。
当時から「絵」がめちゃくちゃヘタで。たとえば理科の時間、顕微鏡扱って誰よりも上手に対象物をとらえているのにそれを伝える画力がなくて悔しくて。コレ見たまま伝えるには写真撮るしかないよな、とか思ってました。

ま、その頃は「写真は見たままを伝えられる」と思っていて、今になってそんな簡単なものではない、と思い知らされていますが。

高校3年のときの担任の先生が写真部の顧問で、何十年後かの同窓会で「いまだに『いい写真』とは何なのかわからん!」と仰ってて、そこらへんも面白いなあと思っています。

そんな苦手意識の塊だった「写真」ですが、新婚旅行に出かける朝に東京駅寄ってカメラ(当時は銀塩のコンパクトカメラ)を買うような人と結婚して、ちょっと事情変わりました。その後子供のために一眼レフ買ったり(但しうちにはビデオカメラというものは存在しなかった笑)。世の中的にもデジカメという夢のような機械が発明されて、誰でも惜しみなくいくらでも写真撮れる時代になりました。

人間って「苦手を克服」出来るものなんだなあとか。

ほかにも、人生ある時期は映画も読書も苦手でした。でも今は大丈夫。どっちもそれなりに楽しんでいます。

歳をとるのって全然悪いことじゃないなあと思うひととき。昔より全然好奇心旺盛でフットワークの軽い人になりつつあります。

恵まれた人生てことですね。

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↑の写真は鹿のいなかった飛火野。

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