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バレエ小説「パトロンヌ」(14)

 ステージ上では第二、第三の演目が、次々と繰り広げられている。だがミチルは、先ほどの甲斐の飛翔の残像と、まだまだ戯れていたかった。ついさっきまであれほど美しく身近に感じられた舞台も、今はどこかくすみ遠のいて、ガラス一枚隔てがあるような気さえする。

(もっと気を入れて観なくっちゃ)

 しかしそれでも甲斐・美智子ペアに匹敵するカップルは登場せず、じっくり見れば見るほどに、ミチルは自分の甲斐びいきが単なる思い込みではなかったことを確信するのだった。
 これほどの実力者に、一演目しか踊らせないなんてありえない! 後半に再び登場するのではないか?
 ミチルはプログラムをめくった。最後の演目は「眠れる森の美女」だ。他の演目と異なり、出演者が明記されていない。

(これにもう一度出るんだわ。きっとそうだ)

 第一部が終わった。休憩時間特有の穏やかなざわめき。観客はロビーに、あるいは化粧室へと席を立っていく。しかしミチルはしばらく動かなかった。

(このまま、最後まで見てしまおうか……)

 ミチルはマユを近所のママ友に預けてここへ来ていた。この公演はたった2日で、それも平日の夜しかやらない。休日なら夫のタカシに何としてでも頼み込むのだが、仕事に行けば9時より前に帰ってきたことがない夫に、平日早く帰ってきて!とは、専業主婦のミチルにはとても言えなかった。

 甲斐を初めて知った時は生まれたばかりの赤ん坊だったマユも、今や幼稚園児。娘を通して親しい母親仲間もできた。それでも、夜まで預かってもらい、夕食までお願いするのは敷居が高い。

 甲斐の出番が一番初めの演目だったのは、ミチルにとって幸いだった。事情を知ったママ友も「大丈夫だよ、ゆっくりしてきなよ」と引き受けてくれたので、前半だけ観て帰ると約束して預けてきたのだ。

 帰りは9時ごろと言ってきた。その9時が10時になったとしても、大して違いはしないのでは? 少し嫌みを言われて、頭を下げて、ちょっとの間我慢をすれば、それで済む。でも甲斐を観られるチャンスは、今度いつ巡ってくるかわからない。これが最後かもしれない。

(そのチャンスに、賭けたい! このまま、最後までここに座っていたい……)

 温かいサーモンピンクの照明。空っぽになったオーケストラボックス。ふとそよぐ緞帳のドレープ。
 しばらくシートに身を預けていたミチルは、やおら席を立った。帰るのだ。今の自分にとって、一番大切なのは何だろう。バレエか、子どもか。愚問だ。比べられるものではないではないか。

(もし、この1時間のうちにマユに何かあったら、私は一生後悔するだろう。そうなったら、もうバレエも絶対見に行けなくなる)

 ミチルはこの何年か、こうして「比べられないもの」の比較を繰り返しながら生きてきた。家庭か仕事か。仕事か子どもか。読書か掃除か。お金か時間か。今か将来か。この身は一つ、人生も、一つしかない。今、何を選択することが一番なのか。あった方がよいが、なくてもなんとかなるものは将来に譲り、または捨て、これがなければ生きていけない、というものだけを優先し、選び取ってきた。

(私は、子どももバレエも、これからずっと大切にしたい。そのために、今夜はこれで帰る)

 欲張らないこと。折り合いをつけること。それがミチルの生き方だ。彼女は今夜もひとつを選択をし、代わりに一つを手放したのである。(つづく)


 

 

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仲野マリ
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