見出し画像

【読書記録15】鋭い洞察と美しい文章でページをめくる手が止まらない。圧巻の稲作体験記。

 皆様いかがお過ごしでしょうか。今回紹介する本は、近藤康太郎著『アロハで田植え、はじめました』(河出文庫)です。

『アロハで田植え、はじめました』は、タイトルの通りの稲作体験記です。ですが、この体験記が何よりも素晴らしいのは、その文章のうまさと切れ味です。というのも、著者の近藤康太郎氏は朝日新聞の記者であり、ライターとしてもいくつかの著作を出版しています。

ライターとして生きていくためのオルタナ農夫

 著者の近藤氏は、所属する朝日新聞社で地方への異動を希望し、オルタナ農夫として生きていくことを決めます。ここら辺の経緯はぜひ本書をお読みください。
 で、まず、同僚や上長も困惑したオルタナ農夫とは一体何なのか?

 オルタナティブな農夫とは、もちろん、オルタナティブロックからつくったわたしの造語だ。ここでいう「オルタナティブ(alternative)」とは、字義どおり、もうひとつの、メインストリームとはまた別の、というほどの意味である。「選択肢」のことだ。

第2章 初めての田舎、果てしなき後悔

 音楽や映画、アートに文学の世界でも、最初はオルタナティブなものが、徐々にメインとなり、時代をつくってきたことを説明し、近藤氏は次のように続けます。

 むしろ、わたしの場合、プロのライターでいることが、最重要なのだ。人によっては、プロのミュージシャン、プロの作家、プロの画家、なんでもいいが、「一回しかない自分の人生を、その仕事に企投する」と決めたものに、一生しがみつく。しがみついてなおかつ飢え死にしないための、最低限の生活の糧、いわば兵糧米を、自分の手で稼ぐ。できれば最小限の時間と労力で。それがオルタナ農夫だ。

第2章 初めての田舎、果てしなき後悔

 あくまで、プロのライターを続けるためのオルタナ農夫であり、そのスタイルは頑として崩さない。その矜持が見て取れます。次の文章もその強い意志が伺えます。

自分のスタイルは変えないんだ。農夫はあくまで手段。目的は、ライター人生をまっとうすること。やんちゃでがらっぱちで少し派手な自分の〈スタイル=文体〉を変えてしまうくらいなら、田舎暮らしも意味がない。

第4章 アロハで農夫デビュー ますは田起こし

卓越した文章のうまさ

 著者の近藤氏は、長崎県の諫早という土地で、稲作を始めるのですが、日本の田舎の描写がとても美しいのです。

昨日はまったく余裕がなかったが、今日は周りの山々を見たりする。若葉が萌えるように、黄緑色に輝いている。ウグイスが得意げに美声で鳴く。山が、息づいている。初夏の日本の里山は、めまいがするほど美しい。

第4章 アロハで農夫デビュー ますは田起こし

 稲刈りを終えた感動とともに、そこから見える風景を描写した次の文章も読ませる文章です。

 稲刈りを終え、きれいに田んぼで、一人、腰に手を当て、歩く。干した稲束から、わらの香気が漂う。突き抜けて高い空に、トビが舞っている。静かに山水が流れるほかは、物音ひとつしない。
 静謐。serenity。
 こんなふうに地面を見つめて歩くと、自然、考えるようになる。自分はなにもので、なんのためにここに来て、これからどこへゆき、なにをするのか。ミレーの名画「落ち穂拾い」で、農婦の顔がどれも思慮深く見えるのは、偶然ではない。労働は、人を、考える人にする。

第9章 田んぼよ、稲穂は揺れているか?

鋭い洞察と体験記自体の面白さ

 東京から離れて田舎で生活することで、見えてくること、感じ取れることがあります。農業の体験的な考察や、地方の共同体の機能への視座、さらには資本主義が苛烈な大都市・東京から離れることで見えてきた資本主義というシステムへの洞察にも、多くのページが割かれています。引用されている本のバラエティも幅広く、とても読みごたえがあります。

 それに、どんなに”自然”に見えようと、田んぼというのは、自然に反するものだ。土地の一角に、稲という一種類の植物だけを育てようとする人間の営みだ。他の生物にとっては、迷惑でしかない。どんなに無農薬、有機農法であっても、そこは変わらない。

第10章 この社会を生きのびるには?

 そして、何よりも体験記自体の面白さです。地方への異動で社内の大ニュースになったり、偶然の流れから師匠と出会ったり。そして、水を牛耳る親分や脱サラして農家になった人との出会いなどなど。ハプニング続出で、順調にいかない中でも、ちょっとした出来事から事態が一気に好転していく様は、まさに体験記の面白さそのものです。そして、何より著者の近藤氏がこのオルタナ農夫生活を楽しんでいることが分かります。

 地方で暮らすと、資本主義のど真ん中で生きていたときとはまったく別の発想が膨らむ。妄想かもしれない。しかし、その、妄想じたいが、自分にとって新鮮で、楽しい。

第8章 ムラ社会が教える贈与経済入門

 体験記としての面白さはもちろん、人生や仕事についても考えさせられたり、知的な洞察に触れられたりもします。様々なものが詰まった素晴らしい本です。ぜひ読んでみてください。

 今回は以上です。

いいなと思ったら応援しよう!