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【読書記録4】「なんで読書するの?」と聞かれたらどう答えますか?

 皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 今回紹介する本は、池田義昭と福岡伸一の共著『福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』です。

 私は上の単行本で読みましたが、新書でも出ているようです。

 本書は、分子生物学者の福岡伸一と西田幾多郎の研究者の池田義昭との対談形式の本です。哲学者の池田義昭曰く、福岡伸一氏の「動的平衡」の考え方が西田幾多郎の哲学と符合するところが多いそうです。

なぜ読書するのかに対する1つの答え

 さて、『福岡伸一、西田哲学を読む』の全体のレビューは、他の人に委ねましょう。私が今回取り上げたいのは、本書の最後の方に出てくる生物学者の今西錦司の話です。
 福岡伸一氏は、「なぜ山に登るのか」と問われた登山家でもある今西錦司の言葉を基に、学ぶということはどういうことなのかを説明しています。

 これに対して、今西が語った答えがふるっている。「向こうに山が見える。その山に登ったら、また向こうに高い山があった。だから次々と山に登ります」
 これは学ぶということの本質を、巧まざる表現で言い当てた名言ではないか。一生懸命、勉強し、考え、あるいは実験や研究を繰り返してある頂きに達する。するとそこからしか見えない新たな視界が開けてくる。人はその視界の向こうにある新しい頂きを目指して、また次の登山のための一歩を踏み出す。

 私は、これは「君はなんで読書するの?」と問われたときの、自分がぼんやりと考えていたことを明瞭に言葉にしてくれたものだと思いました。


 良書を読むと、その本が扱う分野に関する考えが一変することがあります。見える景色が一変するような感覚です。そして、その本で言及されている事柄についてもっと知りたくなり、新たな読書が始まります。このような一連の体験が読書の醍醐味であり、私が読書が好きな理由なのだと思います。まさに、読書は登山のようなものです。

読書は順番も大事

 例えば、福岡伸一氏のベストセラー『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読むと、生物に対する考え方が一変します。

 そして、『生物と無生物のあいだ』を読むと、福岡伸一氏の他の著作を読みたくなったり、シュレディンガーの『生命とは何か』を読みたくなったり、「動的平衡」のアイデアに似たものが他の学問にあるのか探したくなります。その結果、私は『福岡伸一、西田哲学を読む』を読み、いまは西田幾多郎という大きい山に挑戦しています。

 読書は登山のようだと言うとき、本を読む順番はとても大切です。素人がいきなり高い山に登るのが無謀なように、哲学の素養のない人がいきなりヘーゲルを読んでも挫折してしまいます。ですから、専門的な本(大きい山)を読むときは、それまでにその分野の入門的な本(小さい山)を読む必要があります。

 もし、『福岡伸一、西田哲学を読む』に関心を抱き、読みたいと思ったなら、その前に『生物と無生物のあいだ』を読むことをお勧めします。

私が読書するのは、見える景色を常に更新したいから

 私は『福岡伸一、西田哲学を読む』を読んで以降、「なんで読書するの?」と聞かれたら、「読書とは登山のようなものです」と答えます。そして、今西錦司の登山の話をします。
 私は読書を通じて、様々な本に出合い、新たな景色を見たいし、見える景色を更新していきたいのだと。

 「なんで読書するの?」と聞かれたとき、今までは「知識がつながるのが楽しいから」と答えていました。まあこれ自体は今も変わりませんが、「どうして知識がつながるのが楽しいの?」と聞かれたら、口ごもってしまいます。上手く言葉で説明できないでいました。
 そんな中、今西錦司の登山の話は、自分が読書する理由を説明してくれるものでした。

 「なんで読書するの?」と聞かれたときに、困ってしまったひとはぜひ今西錦司の登山の話を使ってみてください。

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