ゼノブレイド3 レビュー 人生とは、生きるとは何か

 ゼノブレイド3をつい先日クリアしたので、さっそくレビューを投稿しようと思う。主にゲームクリア済みの方に向けたレビューなので、遠慮なくネタバレしていく。未プレイの方は自己責任でお願いします。


 概要

 さて、何から書いたものか… まずゼノブレイドシリーズについてざっと説明していこうと思う。「そんなの知ってる。」って人はここは飛ばしていただきたい。
 ゼノブレイドシリーズは任天堂より発売された一人用RPGである。開発したのはモノリスソフト。シリーズの前身として旧スクウェアよりPS1で発売されたゼノギアス、バンナムよりPS2で発売されたゼノサーガシリーズがある。
 その後、2010年にWiiでゼノブレイド1が発売、国内外で高い評価を獲得しシリーズ化する。2015年にWiiUでゼノブレイドクロス、2017年にSwitchでゼノブレイド2、2022年に同じくSwitchでゼノブレイド3が発売される。
 シリーズの特徴としては、広大なフィールドを探索し、街でお買い物をしたり、様々なイベントを体験したり、未知の遺跡や洞窟を探検したり、財宝やお宝を発見したり、恐ろしいモンスターと戦闘しながら、主人公とその仲間の物語を追っていくという、まあいわゆるRPGと呼ばれるゲームである。
 もちろん、世にRPGは履いて捨てるほどあり、その中でシリーズ化しているということは、他のRPGにはない特徴があり、それがファンから支持を得たからに他ならない。その辺も含めてレビューしていこうと思う。

 探索への導線

 さて、ここからが本題。ゼノブレイド3のプレイ感だが、基本的には前2作を踏襲している。相変わらずだだっ広いフィールドを探索しながら、様々なイベントを体験し、探索し、戦闘し、主人公の物語を追っていく。それだけならよくあるオープンワールド系RPGと大差ないが、同シリーズはプレイヤーを探索へと結びつける導線作りが抜群に上手い。
 まず、プレイヤーには最初からマップが与えられているが、主人公が実際に歩いた周辺しか詳細が分からない。そのため、このマップを少しずつ埋めていくことを意識するわけだが、その過程で次々とイベントが発生する。宝箱を発見したり、ユニークモンスターと呼ばれる強敵と戦闘したり、あるいは本来の目的地から外れて寄り道した結果、新たな仲間と出会ったり。そのため、地形を探索し地図を作るという作業をしていく過程で、世界を知り、多くの人と出会い、様々な体験をし、それが主人公たちの成長につながるという流れが極めて自然な形で表現されている。また、この様々な体験をし多くの人(価値観)と出会うということは、メインストーリーとしても重要な意味を持つ。
 すでにオープンワールドがRPGのデファクトスタンダードとなって久しいが、それゆえに単に広いだけではユーザーは振り向かない。グラフィックがいくら美しくても、人はいずれ慣れる。それゆえに探索そのものに意味を持たせる必要があるのだが、探索に対して単にご褒美(主に成長のためのリソース)を提供するだけでは、探索を単に作業としてしか捉えられなくなり、これまた不十分だ。エルデンリングやゼルダBotWがそうであったように、結局世界とそこに住む人々そのものに魅力がなければ、探索のモチベーションは続かない。今作もまた、それを良い意味で証明したといえるだろう。

 哲学とは?現代社会へ生きる人への問題提起

 次にストーリーについて。今作はシリーズでも特に哲学的なストーリーと評される。では哲学とはなにか?グーグル辞書によると「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。」とあるので、とりあえずこれを定義とする。その定義に従うと、実はゼノギアスのころから一貫してテーマとして扱っており、別に今作に限った話ではない。ではなぜ今作が特に哲学的と評されるのか?それは今作のきわめて特殊な世界から説明しないといけない。
 今作の世界「アイオニオン」は、常に「アグヌス」と「ケヴェス」という二つの勢力が争っている。「アイオニン」の世界の住人は、10歳の姿で生まれ、生まれた直後より戦闘訓練を重ね戦場に赴き、その多くは戦場で命を落とす。仮に生き延びても、20歳になれば寿命を迎え「成人の儀」と呼ばれる儀式によって女王に看取られながら命を落とす(このことは最高の名誉とされる)。寿命が10年しかないから、人生や世界のことなど考えてる暇はない。ほとんどの人物が今を生きることで精一杯で、それは主人公達も例外ではない。
 そんな情勢の中、「ケヴェス」に属する「ノア」「ユーニ」「ランツ」という3人の主人公は、謎の物体を破壊する任務に赴く。その途中、アグヌスに属する「ミオ」「タイオン」「セナ」という同じく主人公の片割れと会敵する。戦闘の途中、謎の怪物「メビウス」が出現し先行していた仲間を殺害しノア達に襲い掛かる。さらに謎の物体の持ち主と思われる「ゲルニカ」という人物が物体の封を解きエネルギーを解放、結果ノアとミオが融合し「ウロボロス」という巨人の姿となり、辛くもメビウスを撤退させる。だが、メビウスに胸を貫かれたゲルニカはすでにこと切れる寸前であり、最後に「シティーへ行け。お前らの本当の敵を倒すために」と伝え絶命する。各々の所属勢力へ帰還するために一度は別れるケヴェスとアグヌスの若者たちだが、メビウスの力により、一般の人間にはノア達は怪物の姿として映ってしまうようになる。ついさっきまで味方だった人達に襲われ、やむを得ずシティーを目指すために共闘するケヴェスとアグヌスの若者たち…という導入から本格的な物語が始まる。
 それまでは、用意されたレールに従って生きていたノア達だが、突如としてレールを外され、帰る所も失い、それでも生き残るためわずかな可能性に懸けて旅に出る。そうなると当然、世界の成り立ちやこれまでの生き方について、自然と自問自答し仲間と意見をぶつけ合う。特にミオはすでに9期(19歳)であり、残された時間は少ない。また、旅の途中には多くの出会いと、時には別れがあり、そのたびにノア達は様々な価値観に触れていく。多くの価値観に触れたノア達は、やがて生きることについて自分たちなりの答えを見出し行動するが、それは価値観を異にするものとの対立を意味する。それは決してメビウスのような明確な敵対者ばかりでなく、協力者であったり、一般の市民をも含む。特筆すべきは、ノア達の見出した答えが、決して絶対的な正解としては描かれてないこと。作中でも度々ノア達の出した答えに対して問題提起がなされるが、それに対してノア達の答えは、他者の価値観を否定することなく、それでも自分たちの答えを信じて進むというもので一貫している。もっとも、それゆえに(おそらく意図的なものも含め)プレイヤーとノア達の心情が乖離しがちではある。
 とまあ、以上が今作の大まかなストーリーとなるが、今作のPC(プレイヤーキャラ)は上記のような境遇のため、人生について語ることが多く、それゆえに本作が哲学的と評されることが多いものと思われる。とはいえ、決して難解なものではなく、むしろ我々人類が社会で生きていくうえで、決して逃れることのできない問題提起を行っている。特に昨今は情報技術の発達により、様々な生き方や価値観に触れることが容易となった一方、自分の人生について明確な回答を持つことが難しくなっている。そういった時代背景が今作のストーリーに影響していることは、おそらく間違いないが、人生について悩む瞬間もまた、意味のあることだと今作は伝えている。重要なのは、自身で悩み、苦しみ、その果てに得た自分なりの答えを信じて生きていくこと。そして笑って最後を迎えることではないか?そういう前向きなメッセージを今作から受け取った次第である。

 現代的な爽快感と過去より受け継がれる伝統

 戦闘・および成長システムについて
 まず今作の戦闘は、6人のPCとヒーローと呼ばれる1人のNPCの合計7人によって行われる。これは1人用RPGとしてはかなり多く(だいたい3~4人パーティーが一般的)、それぞれのキャラがフルボイスで喋ることもあり、非常に賑やかである。
 戦闘にはコンボ・(融合)アーツ、インタリンク、チェインアタックといったシステムがあり、それに位置取りやヘイト管理、仲間の回復やバフ・デバフといった行動を組み合わせ敵と戦う。こう書くと複雑そうに感じるが、実際は操作も含めて意外と直感的であり、レベル補正が強いこともあり割とすんなり入り込める。また、システムが多いゆえに工夫の余地が多く、上級者が満足できるだけの懐の深さもある。
 次に成長システムだが、今作はレベルの他にクラス・アクセサリー・ジェム・ウロボロスツリーといった成長システムがある。このうちアクセサリーとジェムはシンプルかつほぼ同じシステムとなっており、ウロボロス形態を強化するウロボロスツリーもシンプルなもののため説明は省く。
 今作の成長システムの目玉と言えるのはクラスシステムであり、主人公6名の初期クラスをはじめ、各ヒーローの固有クラスを習得し、キャラの役割に合わせて都度変更していく。また、クラスにも成長要素があり、成長させることでクラス固有のスキルやアーツ(戦闘にて使用する技)を他のクラスにも適用でき、その組み合わせによっては絶大なシナジーを得ることができる。これは、シリーズ総監督である高橋哲也氏が、かつて旧スクウェアで開発に携わっていたFF5のシステムの系譜であり、JRPGにおいて連綿と受け継がれている成長システムの一つであるため、多くのプレイヤーにとってもなじみ深く受け入れやすいものとなっている。
 と、戦闘・成長システムともに今作は比較的直観的かつ受け入れやすいものとなっている。これは恐らく、前作の2のシステムが複雑で、受け入れられるまで時間がかかった反省と思われる。特にチェインアタックは今作最強の攻撃手段であり、うまくシステムを理解し実行すれば、ボスのHPを半分ほどから一気に削り倒すこともできる。ハイテンションなBGMも相まって、爽快感は抜群である。

 強者と弱者 答えの出ない問題

 次に気になったところを述べる。
 まずストーリーについてだが、前半から中盤、後半最初ほどまでは特に文句はないが、それ以降はやや勢いが落ち、またテーマに対して未消化な印象を受ける。具体的に述べると、今作の問題提起の一つとして、「強者」と「弱者」の対立構造があげられる。この強者は序盤こそ世界を裏から支配するメビウスのことをさすが、ノア達がウロボロスの力を得、さらにメビウスの力の根源である命の火時計を破壊する手段を得たことで力関係は逆転する。ノア達はメビウスに支配された世界を解放するために戦いを続けるが、それは現状の世界を破壊することを意味し、力を得たことで自身の都合で世界のルールを変えることは、本質的にメビウスと同類ではないか?と問題提起されるも、ノア達はこの問題に対して明確な返答を返していない。また、終盤のノア達の目的は、メビウスによって生み出されたアイオニオンを、本来のあるべき世界へと戻す、というものになるが、それを実行すると、アイオニオンで生まれたシティーの人々の存在が消滅するという事実が明らかになる。この事実を今作の黒幕、ゼットに告げられるも、大した葛藤を見せることなくゼットを倒し、結果EDでシティーは消滅、特にフォローされることもない。中盤でシティーで生まれた赤ん坊に触れ、PCが感動するというイベントがあるにも関わらずである。このあたりがどうにもプレイヤーとPCの心情と乖離しており、フォローもないため恐ろしく気になる。
 次に戦闘・成長システムについて気になったこと。
まず今作は非常にレベルが上がりやすい。これは探索への導線が優れており、つい寄り道をしてしまうためというのが大きい。それ自体は問題なく、結果本編の難易度は物足りないものであったが、そのことも自己責任として受け入れられる。だが、各クラスチェンジの条件を満たす際に弊害が生じている。今作のクラスを解放するためには、まずそれぞれ固有クラスを持つヒーローを条件を満たして仲間にする。その際にPC6名のうち一人だけがすぐにクラスチェンジできる。他の5名は、該当クラスのヒーローおよび該当クラスにチェンジしたPCをパーティーに入れ戦闘に勝利すると、クラス習熟度というゲージが蓄積され、それが満タンになった際にクラスチェンジできるようになる。問題はこのクラス習熟度が経験値に連動していること、そして経験値は敵とのレベル差によって変動するということである。端的に言うと、敵とのレベル差が広がると、獲得できる経験値が低下し、結果なかなかクラスチェンジができないという状況が頻繁に起こる。せっかく自由度の高いクラスチェンジシステムなのに、この辺はかなりもったいないと感じ、せめてもう少しクラスチェンジの条件を緩めてもよかったのでは?と思う。

 最後に

 いくらか気になった点もあったが、総合的にはすさまじいボリュームを誇り満足度の高い作品であった。特にストーリーは、一見難しいテーマをあげつつも、その実人類にとって普遍的な問題提起を行っており、それでいて決してネガティブでない、前向きなメッセージも含まれている。
 また、テーマを抜きにしてもシナリオ・演出にも優れており、第2話終盤の命の火時計の破壊シーン、第4話中盤のエセルとカムナビの最期、第6話終盤のメビウス・ディー&ジェイとの対決とその決着などが特に印象に残る。
 ボリュームのある王道RPGをプレイしてみたい方はぜひ一度手に取ってみてはいかがだろうか?


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