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うそとまことは見分けがつかない


 私の姑は、統合失調症です。
 幻聴や被害妄想があり、私のことを、暴言と暴力で息子と孫を支配する、邪悪な嫁だと信じ切っています。
 私から見ると事実無根ではありますが、姑にとっては、それこそが現実であり、真実です。

 物理的に距離が離れているので、私たちはそれほど密な親戚付き合いがあるわけではありません。

 年に一度帰省する際、会う度に、おじおば達から私に向けて、要約すると「親孝行しなさい」という話をよくされていました。もちろん、実両親ではなく、姑舅に対してですね。
 用事があって電話した際も、けんもほろろといいますか、ちょっと疑問に感じるような態度を取られたこともあります。

 これ、姑の影響なんだと思います。

 今でこそ常時入院が必要なほど悪化してしまっているので、姑の話を真に受けると言うことはないと思いますが、まだ病状がそれほどでもなかった頃は、表面上は普通に話せていました。

 子供もつくらず、長男なのに地元以外で家を買うなんて、全部嫁の差し金にちがいない…

 当初は、こんなふうに思っていたようです。
 姑は根が素直なので、病状が深刻になる前からそれらの考えがダダ漏れで、私にもダイレクトに伝わっていましたから。

 いざ孫ができた頃には、姑の病状は悪化してしまっていました。

 電話で話す度、

「絶対にけがをさせないように。傷ひとつつけたらダメ。病気にさせるな。子供を怒るな、絶対に叩いてはダメ。やさしく、さとすように育てなければならない。お金はいくらあっても足りない。無駄遣いは絶対にやめて」

 と、何度も何度も言うようになりました。

 さらに、

「嫁は孫をつれて実家に入り浸っている」
「子育てを実母に丸投げして、自分は遊び回っている」
「働きもせず貯蓄もせず、息子の金を遊びで浪費している」

 と、徐々に妄想が混じりだします。
 親戚の私への当たりが強まったのもこの頃ですから、この妄想を親戚に話したのだと思います。
 実際には私は里帰り出産もしてませんし、実家に子連れで泊まったこともありません。

 この辺りから、暴言暴力嫁妄想が生まれたのでしょうね。

 そして現在では、姑にとっての私は、暴力と暴言で夫と子供を支配し、一切の家事育児をせず、台所はゴキブリだらけで、貯金もせず、息子に子供の風呂の世話をさせる上に、息子のお金を浪費するだけの猛毒嫁、という事になっています。

 私が何を言っても、
「どうして嘘をつくのか! 嘘ばっかりついて!」
 と、まるで犯罪者扱い。

 これね、結構悲しいですけれど、いい教訓になると思うんですよね。

 確かに今の私は、働きもせず適当に家事と育児をし、日々ゲームしたり美味しい物を作って食べたりの贅沢三昧。
 姑にとっては悪魔のような嫁、というのも、ある意味真実なんだろうと思います。

 そして、姑のまわりの人にとっても、おぼろげな形ではあったでしょうが、やはりそれが真実だったんだと思います。
 だって、遠い地での出来事なんて、実際に目に見る機会がない限り、本当の事なんてわからないじゃないですか?

 少なくとも、自分たちにとって長年付き合いのある大切な彼女の心を、ここまで荒ませる程度には悪い嫁である、という印象を持ったとしても、誰が責められます?

 姑についても、責められないのは同じです。

 脳の病気なので。
 彼女は幻聴を幻聴だとは思っていませんし、被害妄想が常軌を逸しているという事には気付けません。
 実際に聞こえる声が、実際に見える何かが、現実ではないって、どうして思えるでしょうか?

 彼女にとっては今生きている世界そのものが、地獄のような世界なんだなと思うと、なんとも言えない気持ちになります。

 うそってなんでしょうか。
 ほんとうってなんでしょうか。

 今、コロナやオリンピックなど話題も豊富であり、様々な意見や主張が、あらゆるところで見られますね。
 フェイクニュース、なんて言葉もしばらく前からよく聞かれます。

 けどね、それぞれの意見や主張すべてに言える事ですが、その内容が本当に真実だと、もしくはねつ造だと、誰にわかるのでしょうか?

 自分自身に、真贋を判断するほどのインテリジェンスが備わっていると、はっきり宣言できる人がどれほどいるでしょうか。 

 私は、世界というのは、生きている人の数だけあると思っています。お互いの世界が少しずつ重なることで、大きな世界をかたどっているのだと。
 そしてそれぞれの世界には、それぞれの真理があるのだと思います。
 地球は丸いと思っている人には、地球は丸いのだという証拠ばかりが目にとまるでしょうし、反対に、地球が平らだという人には、地球が平らだという証拠ばかりが目にとまるように、人の脳はできています。



 
 私はというとですね。
 そこまでのインテリジェンスは備わっていません。

 だから、自分の心に問いかけています。

 そうすると、うそかまことかはわかりませんし、正否の違いもわかりませんが、自分のこころのありようだけははっきりとわかります。
 つまり、自分がどうしたいかだけは、はっきりとわかるのです。

 姑に関しては、

「脳の病気だと理解しているが、これほど純粋な憎悪を向けられる事に対して、病気だから仕方ないとは割り切れない。理不尽であり、到底受け入れることはできない」

 と、私の心は訴えています。

 ですので現状では、姑からの電話は拒否しますし、帰省しても面会はしません。
 舅以外の親族とも、特に私に対して当たりの強かった人々とは、積極的におつき合いをする事はないでしょう。

 それが他人からどう評価されようとも、私は自分の思うようにします。
 もし、自分のこころのありようを無視して他者の言葉に従い、姑を受け入れたとしたら、ストレスで病気になってしまうかもしれません。

 しっかりと自分のこころのありようがわかっていれば、自分の意に沿わない事をしないで済みます。

 それは、とても大切な事ではないでしょうか?

 それがわかっていればこそ、他者との間の妥協点も探せるというものだと思うのです。

 人一人が決められる、動かせる範囲というのは本来、自分の行動だけです。
 どれだけ大きな声で叫んでも、自分以外の人間を駒のように、思うように動かすことはできません。
 相手が目に見えない遠くの場所にいる人でも、目の前にいる我が子でも、同じです。

 ただし、自分の心を見失っているような状態の人は、すぐ流されたり、他人の言うことを鵜呑みにしてしまいがちです。

 本来の、しっかりと自分自身の心のありようが分かっている人は、とてもタフなんです。

 簡単に、他人の意見に流されないですむようになります。
 誰かに操られることがなくなります。


 このメッセージが、必要な人に届きますように。

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