プレイの例に影響され過ぎ
『モスクワ電撃戦2』をようやく初めてプレイした。
猿遊会でトーナメントを開催いただいたのが、7年前のちょうど昨日と今日。参加者募集のページをいま見て気づいた。当時、自分はこのゲームをプレイしていなかったので、トーナメントは横から拝見させていただいた。たくさんの方が参加くださって、いま思い出してもすごく嬉しい。
トーナメントのスナップの1枚。コンデジが写ってる。iPod touchで撮ってるはず。iPod touchは小さくて便利なので復活熱望。
バルト海から黒海までを収めた独ソ戦ゲームには独特の味わいを感じる。自分が最初にプレイしたゲームが『Stalingrad』(Avalon Hillの赤い箱)だったから、というのはあると思う。都市や河川の名前だったり、地形の配置だったりを見たときに、気持ちが他のゲームより少し大きく揺れる。
2回プレイしてドイツとソ連がそれぞれ1勝。どちらもソ連が反攻でハリコフを奪回する展開で、レニングラードをどちらが支配しているかが勝敗の決め手になった。
プレイの例にある、北方軍集団が初手でリガを補給切れにするムーブがとても強力に思える。でも、毎度それをやっちゃうとプレイの例に影響され過ぎかと心配になってしまう。レニングラードを早々に手に入れることが、ドイツ軍にとってよいことなのは間違いないとは思うけど。
レニングラードとスターリングラードが今は違う呼び名になっている。そういえばスターリノはどうなのだろうと思ってWeb検索したら、「ドネツク」になっていた。全然知りませんでした。世の中には自分の知らないことがたくさんあることを知る。無知の知。
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