沈黙を超えた”Linkin Park”と魂の再生
7年の時を経て
LinkinParkが7年の沈黙を破り、復活を遂げた今日、深く複雑な感慨に浸っています。Chesterの死から7年。この歳月は、音楽の持つ力と、人間の魂の深淵について考えさせられる時間でした。私の好きなHYDEさんがSlipknotのDualityを急にライブでカバーした時は異様な興奮を覚えましたが、今年はLinkinParkのGiven upを急にカバーしてくれて、私が一番好きな人が好きな人の私が一番好きな曲をカバーしてくれるのが2回も連続した事に更に興奮しながら、まさかLinkinParkをまた聴ける日が来るとは思いもせず。
音楽史を紐解けば、苦悩と創造性の関係は常に密接でした。19世紀のロマン派音楽家たちから、20世紀のブルースやジャズ、そして現代のロックやヒップホップまで、多くのアーティストが自身の内なる闇と向き合いながら、魂を揺さぶる作品を生み出してきた歴史がある中で、LinkinParkもまた、この長い系譜の中に位置づけられていると思っています。
絶望を謳うような歌詞が多かったLinkinParkの曲を思い出しながら、中学生で出会ったキェルケゴールの『死に至る病』を思い出します。
この言葉は、LinkinParkの音楽、特に「Numb」や「Given up」、「What I've Done」のような楽曲に深く響き、絡み合います。自己と他者、理想と現実の間で引き裂かれる魂の叫びは、まさに現代社会における「絶望」の表現を最高の音楽に乗せて表現してくれています。
ライ麦畑とドストエフスキーとChester
一方、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』を通してこんなことも述べています。
この視点から見れば、Chesterの苦悩や、バンドの7年間の沈黙は、より深い創造性と人間性を育む過程だったのかもしれません。苦痛を避けるのではなく、それと向き合い、超越することで、我々はより豊かな人生を経験できることがあり、刹那的な感動にも出会えるのでしょう。
私自身、様々な苦痛を経て、希死念慮を超えた死への隣接する体験を10代に2度経験しながらも、それ以上の精神的な苦痛を今後も経験したいと考えていますが、これは単なるマゾヒズムではありません。他者の気持ちを理解できない大前提で、出来る限り理解し、文字通り寄り添うことができるようになり得る人間性を獲得していきたいからという前提で、その釈迦が通ってきた道の隣には常に音楽でありRockが必要であり、不可欠でした。
社会彫刻と連続する創造と
LinkinParkの音楽は、この社会彫刻の中でも「寄り添い」の一形態と言えるのではないだろうかと思います。彼らの楽曲は、聴く者の内なる苦しみに言葉を与え、孤独な魂に共感の手を差し伸べることもあれば、唯々グルーヴが気持ち良い時もあります。それは、現代の社会彫刻の新しい形でもあるとも感じてきました。
音楽理論家のセオドア・アドルノは、音楽を「社会の暗号化された歴史」と呼んだらしい。LinkinParkの復活は、私(と私たち)にとって単なる一バンドの再始動以上の意味を持っています。それは、苦悩と向き合い、乗り越えようとする自分たちを投影しているからでしょう。
不可欠なものを刹那的に大切にしていくこと
ニーチェの「永劫回帰」の思想や、曹操の「天よ我に百難を与えよ」の精神は、LinkinParkに通じるものが多くあります。苦難を恐れず、むしろそれを糧として成長を続ける姿勢。それこそが、真の「生への執着」なのではないだろうかと思うこの頃。最後に「矛盾的自己同一」の概念を捉えながら、苦悩と歓喜、死と再生、個と普遍。これらの対立する概念が一つに融合し、より高次の存在へと昇華する過程を楽しみつつ。そこには常にLinkinParkの音楽が隣にいて欲しいものです。
明日と明後日で考える基準を変え続け、格好悪いことはせず、常にロドスで跳べるように。LinkinParkの復活は、私にこの姿勢を再確認させてくれました。
彼らの音楽とともに、私もまた、理想のために卑小な生の道を歩み続けていきたい。
こういう時は音という波に質量性を持たせたくなります。レコードやカセットテープや、ライブの空気感といった質量性を。CDすらも。
7年間生きていて良かったと思える感謝を。日本から。