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昨日までの世界を明日も続けるために変わり続ける - 坂本龍一さん追悼のメリークリスマス
身近で死に関わることがあった中、凄く穏やかな気持ちでメディアアートや音楽に触れられています。生死観ではなく死生観。
「猫が死んだくらいで休むなよ」という言葉を聞いた10年くらい前を思い出しつつ、身近な死を想像することもできない愚かな人類に辟易しながらも、穏やかに過ごせているのはFaith, Trustの軸を古典とテックに置いているからだと思いつつ。
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敢えて関連づけるなら、1年越しにPERFECT DAYSを見返しつつ、坂本龍一さんの作品「TIME」でも田中泯さんが舞踊をしていたり、胡蝶の夢や夢十夜の朗読を思い出したり、霧の彫刻を見ながらダムタイプを通して坂本龍一さんを「知っている」から「知りたい」に変わった瞬間を思い出したりしていたからだとも考えます。
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ここからは個展の記録。
既に2回も訪れられたので、今後も期間中は何度も味わいたい。坂本龍一さんの音楽に何度も触れられる(彼の音楽を聴きに行ける)場所が外にあるというのは、何とも恵まれた期間です。
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坂本龍一という存在が照らす、生と死の境
坂本龍一さんがこの世を去った今も、私たちの中にはなお消えずに響き続ける音の断片が記憶に刺さってあります。それは、彼が生涯をかけて探究した音楽が、単なる旋律やリズムではなく、人生そのものの「在り方」を映し出したからではないかと考えつつ。彼が愛し、また彼自身を形づくったさまざまな思想や表現―“もの派”を代表する李禹煥や菅木志雄、ジョン・ケージや荘子の胡蝶の夢、複合現実(MR)を用いた展示、そして私自身が映画『PERFECT DAYS』を通じて味わった「環世界」的な気づき―を総合し、改めて彼という存在が私たちに投げかける死生観、そして日常への問いを考えてみたいと思います。
「音のない音楽」と環世界の感覚
坂本龍一さんは、私が環世界を知り表現するようになったずっと前から、生物学者ユクスキュルの「環世界(Umwelt)」を想起させるような視点を音楽にもたらしてくれていました。それぞれの生物が独自の感覚と価値観を通じて構築する“小さな世界”を音楽という媒体で結びつけること。彼の作品を聴くたびに、私たちは音の背後にある空気や沈黙、そして人間を超えた存在とつながる扉を感じます。
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アルバム『Out of Noise』は、その象徴と言える作品だと感じています。そこには、人間の意図や競争をはるかに超えた環世界が広がっています。まさに彼が音と静寂のあわいで提示していた広大な空間と通じ合っているように思いつつ、李禹煥や菅木志雄らが試みた「モノ派」の美学、すなわち物と空間の関係性そのものを作品化する姿勢とも深く響き合い、音楽でありながら同時に“在る”という行為自体を提示する点に最大の魅力があります。
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例えを挙げるとキリが無いほど彼の言葉を思い出しますが、例えば「雲の動きは音のない音楽のようだ」という彼の言葉は、ありふれた夕焼けや雲の流れにも「音」を感じとる彼の感性を見事に示しています。彼は、人間が認知できる領域を超えた世界の揺らめきや呼吸を、音楽として捉え直すことに生涯をかけていたのだと私は考えています。
死を超えて残る記憶とテクノロジー
彼の没後の世界線で現在行われている坂本龍一展では、複合現実(Mixed Reality, MR)の技術が駆使され、彼の音楽や映像が物理的な空間と融合する体験が提供されました。単なるレトロスペクティブではなく、まさに「今この瞬間に彼の時間が再生される」かのような、不思議な臨場感に包まれるのです。
これは、彼が時間を空想上のイリュージョンとして捉え、ニュートン的な絶対時間からの離脱を試みたことと深く関わります。彼の作品である『TIME』や彼の各種インタビューには、時間がどこか脳が作り出す錯覚に過ぎないという視点が一貫して見られます。ここにジョン・ケージの『4分33秒』を想起させる思想が重なり、人間の意図や制御を超えた「偶然と沈黙」の領域を音楽に取り込むアプローチが浮き彫りになっているように思えます。MRを用いた展示は、それを体感として再構築し、“死後もなお呼吸する”音楽の可能性を実感させてくれていました。(彼が目の前で弾いているピアノがありながら、シャッター音が鳴り止まないのも彼の魅力故。)
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ジョン・ケージ、荘子、モノ派が導く多元的な表現
坂本龍一さんの創作は、モノ派をはじめとするアートやジョン・ケージによる“音楽とは何か”という根源的な問い、さらには荘子の「胡蝶の夢」のような東洋哲学にも大きく影響を受けているようです。荘子が説く「自分が蝶になったのか、蝶が自分になったのか」という境界の曖昧さは、坂本さんの「音と静寂」「存在と不在」を揺らがせる感性と密接に絡み合っているように思えます。
実際、彼のインタビューやエッセイを紐解けば、古今東西の哲学書や文学作品、さらには日常のガードレールから古いレコードテープまで、あらゆるものに興味を持ち、それを次なる表現へと繋げていた跡がうかがえます。菅木志雄への言及やメディアアーティストの共創など、様々な交流からも窺えるように、彼は絶えず新しい技術や表現を取り込みながら、自らの核となる哲学を深め続けたからこそ、その"存在"それ自体が私の記憶に変わっていくのでしょう。
PERFECT DAYSと関連する“影”の映像
直近、映画『PERFECT DAYS』を観返していて、坂本さんの「在り方」と深い部分で響き合う体験を得ました。映画自体は坂本さんの作品ではありませんが、そこで描かれる“完璧なルーティン”や無言のコミュニケーション、雲のようにゆったり流れる時間と、「地獄とは他人である」としたサルトルの考えが垣間見える作品(私の超主観)は、どこか彼の音楽や思想のエッセンスと重なるのです。
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1年近く前にPERFECT DAYSを感じながらメモを取り、そこで感じた影と木漏れ日の美しさ、多重露光的な記憶、互いの環世界を往来するような感覚。これらはまさに、彼が愛し続けた文学や写真、アートの文脈に深く呼応しているように思えます。読んでいる作品が近いからかもしれない。
環世界を想像しきれない時や愚鈍な事象や地獄の他人に出会ったときは、ダイナーで出会った「想像力のない奴は◯ね」という、やや挑発的なフレーズをいつも思い出すのですが(あくまで自分に対して)、創造力や感受性がどれほど私たちの生を豊かにするかを実感する時間が展示にはあり、彼の音楽にはあり、彼を好きな人たちがつくるものにはあります。そして、それは坂本さんの作品を聴いているときと同じように、“生きること”と“死を見つめること”の境で生まれる美を私に再認識させてくれました。
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昨日と同じ明日を迎えるために死と向き合う、あるいは生をやり直す
「生きる」という行為は、時に煩雑で、喪失と興奮を繰り返す面倒な営みでもあります。しかし、坂本龍一さんが遺した音楽や思想、そして私たちが共有できるさまざまなアート作品、モノ派の作品群からMR技術を用いた展示、さらにはあらゆる映像や音楽、メディアを媒介とした人の感性などは、その面倒さと同時に、日常の一瞬が持つ不可思議な美を教えてくれます。
彼の死や、私が直面した死自体は、もちろん大きな喪失です。しかし、その死をきっかけに私たちは、彼や存在それ自体が生きた証と対話をし続けることができる。言い換えれば、坂本龍一という存在は、死後もなお「昨日と同じ明日」を紡ぎ出す力を持ち続けているのです。それは、競争や効率とは無縁の、もっとゆっくりとした時の流れにこそ見出せる豊かさであり、私たちが想像力を用いて自分自身の世界、つまり環世界を創造する可能性そのものでしょう。
環世界を超えて複合現実の新たな地平を示した坂本龍一さんの軌跡は、まさに「信じる力」、すなわち“Faith, Trust and Pixie Dust”の賜物ではなかったかと思います。静寂の中にも音楽があると信じ、日常の陰影に詩を見出す彼のまなざしは、私たちの未来においてもなお活きる豊かな知的遺産として残り続けるに違いありません。
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4章限の中での生と死
彼の音と言葉、そして生き様にふれるたびに、私は死という不可避の終わりを見つめながらも、なおかつ「昨日と同じ明日」を生き続けながらも、コンテンポラリーかつエクスペリメンタルに生きる(トラディショナルでクラシックな現実に迎合しない)ことの尊さを感じずにはいられません。
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坂本龍一というかけがえのない存在に、あらためて深い敬意と感謝を捧げます。彼がつくる音楽の余韻は、私たちの心を揺さぶり、世界の見方を変え、その静かな反響はこれからも限りなく続いていくことでしょう。
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R.I.P.
また波動制御と大切な人たちのことでも考えながら、レコードを聴く穏やかな日々に戻りつつ、本当の美しさに触れられた展示でした。
(追記) 展覧会のお客さんのリテラシーをよく考えるのですが、「不在」の展示のように全部写真撮影NGにして、図録で限りなく再現する手段が1番良いなぁと思いました。そこには職人の妙やコストの問題もありつつ。
坂本龍一さんが本当に演奏しているシーンでシャッター音はならないけれど、MRが如何にリアルになってもそこは変わらないだろうなと。
その点、ソフィ・カルの図録が素晴らしすぎました。
音楽はアナログで。