人間ドラマ含めたシナリオも褒めたい「ゴジラ×コング 新たなる帝国」
本作と世界観を同じくするアダム・ウィンガード監督の前作「ゴジラvsコング」は、個人的にはダメダメな怪獣映画でした。
思うに前作は、小栗旬の出演を東宝にゴリ押しでもされて困った挙句のグダグダだったのでは?と思えるほど不自然な展開が多く、ノイズになる展開に見ていて心が醒めたものです。
余談ですが前作鑑賞時に聞いたポッドキャストで、「この映画の楽しめないのは怪獣ファンじゃない」と言われカチンときたものです。
翻って本作は、コングを主役にした地底世界での物語と、前作でコングと心を通わせた少女、シアの成長を軸に、人間とコング、ゴジラの共闘をシンプルに描いており、ノイズなく物語を楽しむことができました。
特にコングは前作ほど手話で会話はしないものの、表情や動作で言いたいことを巧みに観客に伝えており、主人公としてのキャラクターが確立していました。オープニングで一戦闘終えた後のシャワーシーン(⁈)まであり、サービスもたっぷり。終盤にゴジラと会合した時の「え、違うんだ、あんたと事を構える気はねえ」と伝わる表情など、ヤンキー漫画の主人公として抜群の存在感を示していました。
もう一体の雄、ゴジラも、存在感は抜群なものの、出番はコングに比べて控えめ。何を考えているのかわからない部分も多く、今回は遅れてやってくる実力者ポジションでしたね。まあ、日本だとマイナスワンもまだ公開が続いている状態でしたので、バランス的にはこれくらいでいいのかも。
そんな主役怪獣二体は、劇中でやりたい放題。基本的に人類の味方っぽいスタンスなのですが、戦えば世界遺産壊しまくるし、周囲の人間の被害にはお構いなし。ローマのコロシアムを寝床にするゴジラの様子は、可愛くも本作の立ち位置を示しているようでもあり、畏怖を覚えました。
彼らと対峙するヴィラン怪獣、スカーキングとシーモもなかなか良かったです。スカーキングは残虐なコングの同種として、スーモじゃなかったシーモは冷気を操る強力な怪獣として、ゴジラと繰り広げる激戦は見応え十分。操られていたシーモが、開放後ゴジラ・コングと連携してスカーキングを打ち破るクライマックスは、お約束の極地で胸が熱くなりましたを
そんな存在感たっぷりの怪獣描写に対して、怪獣の前に我々は無力と悟ったような人類描写は、ハリウッド映画では斬新だったと思いました。前作では怪獣の力を悪用しようとする勢力もありましたが本作では皆無。冒頭で人間側主人公のアイリーンが人類は生態系のトップではない、と語っていたり、モナークの存在感のあったパイロットが怪獣に捕食されてもあまり悲しみをひきずらなかったり。
勿論昭和の時代のチャンピオン祭的な怪獣映画もそうだったのですが、その命の軽さをうまくシリーズの世界観に落とし込んでいたと思いました。
そういうわけで、本作の人類にできることは、自分たちで怪獣を倒すのではなく、比較的自分たちと対立しない怪獣を手助けすること。モナークの目的も、コングへのサポート、ゴジラへの友好的な監視を主としているように感じました。後半に登場したコングのグローブ開発も、前半のコングに虫歯治療しているシーンを挿入していた事で、ご都合主義感が薄れていたのも良かったですね。地底世界に向かうモナークメカもかっこよく、怪獣主役の中でいいバランスを取っていたと思います。
人間ドラマのメインだったのは、シアと彼女の母となったアイリーンの絆。コングと心通わせるシアを、アイリーンがどう寄り添い、支えるのか。彼女たちの物語がモスラ復活に繋がる展開も自然で、今回の人間ドラマは怪獣映画として満点の流れだったのではないでしょうか。
前作では陰謀論がうざかったバーニーも、地底からのメッセージにいち早く気づくキーパーソンとして、コメディ担当としていい味を出していましたね。また、本作からの新キャラ、トラッパーはコミカルだけど出来るやつとして、いいスパイスになっていたと思います。彼とアイリーンが恋愛関係になったりしないのも、怪獣映画として満点のシナリオだったと思います。
そういうわけで、表立って社会的なテーマなどはありませんが、娯楽映画として、ハリウッド資本で作られた贅沢な怪獣プロレス映画として、いい意味で頭を空っぽにして楽しめる映画だと思いました。
ドルビーアトモス版で鑑賞しましたが、流石の迫力音響で大満足でした。
本作で名実共にキングとなったコングの話はひと段落したでしょうから、もしモンスターバースに続きがあるなら、まだまだ出ていないスター怪獣の登場も期待したいですね。アンギラスとか。
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