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2月28日(2017年):清尾さん

この日は、埼スタのいつもの辺りで参戦。まだ寒い火曜の夜とはいえ、入場者はたった1.8万人でした。この日のメモは「アディショナルタイムの失点がなければいい試合だった。」と贅沢なことを書いてます。この頃は、勝って当たり前だった。清尾さん同様に、まさかミシャ監督がこのシーズン途中に解任されるとは思ってもみなかった。

とうとう「あの日のわたしたち」が、最終日を迎えました。
去年、清尾さんからこの企画を聞いて、ワタクシも参加したいと思い、駄文を書き連ねて1年。なかなか書けなくて、関係ないこと書いたり、無理矢理こじつけたりの365日でしたが、完走できて良かった。
この1年で書かせていただいた選手や監督や関係者の方は、数え間違いがなければ159人になりました。160人目は清尾さんです。
清尾さんは、浦和レッズの30年を全部現場で立ち会って、MDPの「ALLWAYS FOR REDS」と埼玉県信用金庫の「Weps打ち明け話」で書き記し、YouTube の「清尾淳のレッズ話」で語り継がれています。
浦和レッズの30年を次の20年、50年、100年に繋いでいく地道な活動にずっと取り組まれていて、本当に頭が下がります。
清尾さんとのご縁は、MDPへの投稿からです。
2003年のナビスコ初優勝の時に、清尾さんが自費で優勝記念の携帯ストラップを製作されて、メールで申し込んだ希望者に配付されました。記念のストラップが欲しくてメールに書いたコメントをMDPに掲載していただいたのがご縁の始まりです。3月4日のホーム開幕戦のセレッソ戦への投稿が、379本目になりました。
清尾さんが企画された「望年会」に参加して清尾さんとお話しできるようになり、浦和レッズを愛する熱心なサポーターの方とも知り合えて、ワタクシの中の浦和レッズは、どんどん大きな存在になっていきました。

この1年、清尾さんは「あの日の私たち」を一日も欠かさずアップされて、浦和レッズの365日が繋がりました。ワタクシも並走できて、宝物になりました。
あ〜楽しかったあ。

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