赤いくんたま

浦和レッズと燻製にハマる還暦過ぎ親父

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最近の記事

2月28日(2017年):清尾さん

この日は、埼スタのいつもの辺りで参戦。まだ寒い火曜の夜とはいえ、入場者はたった1.8万人でした。この日のメモは「アディショナルタイムの失点がなければいい試合だった。」と贅沢なことを書いてます。この頃は、勝って当たり前だった。清尾さん同様に、まさかミシャ監督がこのシーズン途中に解任されるとは思ってもみなかった。 とうとう「あの日のわたしたち」が、最終日を迎えました。 去年、清尾さんからこの企画を聞いて、ワタクシも参加したいと思い、駄文を書き連ねて1年。なかなか書けなくて、関係

    • 2月27日(2022年):皇后杯初優勝

      この日は、残念ながらテレビ参戦。皇后杯初優勝を現地で見届けたかったけど、1週間前に同じサンガスタジアムで行われた開幕戦に参戦したので、2週連続京都遠征はムリでした。 この皇后杯は、いろいろ番狂せとかあって、決勝の相手はジェフ千葉に決まりました。なかなか勝てないベレーザじゃなかったので、初優勝はもらったと思いましたが、そう簡単ではなかった。 67分に菅澤選手が決めたゴールをなんとか守り切って、皇后杯を手にすることができましたが、終盤は必死に攻め立てる千葉を相手に防戦一方でした。

      • 2月26日(2013年):広州恒大

        この日は、テレビ参戦でした。久しぶりのACLは様子が変わっていて、広州恒大とか上海上港とか中国のチームが、アジアを席巻していました。この日の広州恒大は、とにかく強くて歯が立たなかった。しかし、4月のホームでは激闘を制して勝利しました。全然歯が立たないと思った相手でも、戦い方次第で勝てるということを、このシーズンで学びました。 広州恒大は、今は広州FCと名乗っていますが、あの強かったチームが、昨年末に2部リーグに転落したと知って驚きました。親会社の恒大集団が窮地に陥り、その煽り

        • 2月25日(2006年):伸二

          この日は、国立のゴール裏にいました。2005年の最終戦は、優勝に立ち会うために新潟遠征しましたが、ガンバに届かなかった。清尾さん同様に、この日の勝利で雪辱を果たした気がしました。もっとも、本当に胸がスカッとしたのは、この年の最終戦でガンバを倒して優勝した時でしたが。 この日、小野伸二がピッチに戻ってきました。相変わらず、サッカーが楽しくてたまらないという顔をして、走り回ってます。それだけでワクワクしました。 今月号のNumber読みましたか?ジダンとフィーゴの間をすり抜ける伸

          2月24日(2016年):駒井善成

          この日は、埼スタのいつもの辺りで参戦。この日のメモには「戦術のフィット感はイマイチだったけど、勝利が何より。遠藤が良かった。」とありました。 駒井善成選手は、この年に京都サンガから移籍してきました。遠藤航選手ばかり注目されてて、J2の無名の選手だった駒井選手の移籍は、話題にならなかった。 しかし、この移籍はミシャ監督のご指名?だったのかな、シーズン最初のこの試合からベンチ入りして、3月初めのアウェイ浦項戦で先発起用されました。 最初は、J1のプレーについていくのがやっとという

          2月24日(2016年):駒井善成

          2月23日(2019年):浦和の継続

          この日は、病院をハシゴしてからテレビ参戦。還暦を前に、ガタが目立ってきた頃でした。 この日のメモは「0-0 山中、エヴェルトン、杉本が先発。使えそうだけど連携がまだまだ。」でした。オリヴェイラ監督の2年目。天皇杯を優勝して自信満々の監督が、新加入の選手をたくさん送り込みましたが、仙台の固い守備をとうとう最後まで崩せなかった。 今から思えば、監督も新加入の3選手も実績は十分でしたが、実績だけ優先した人選で、浦和のサッカーにフィットするか、あまり考慮されてなかったかも。 選手も監

          2月23日(2019年):浦和の継続

          2月22日(2017年):記録と記憶

          この日は、記録によると、大好きだった大先輩を囲んで飲み会やった日ですね。もう5年も前かあ。 一方、浦和レッズレディースのエミリーって誰???って感じです。彼女には申し訳ないけど、残念ながら全く覚えがありません。そういえば、レディースに大柄な外人選手が加入したことがあったなあと思い出しましたが、具体的な記憶に残ってないです。 前日の試合は、よく覚えてます。 当日のメモには「興梠、李、槙野、Rシルバの素晴らしいゴールが次々に決まって快勝」と書いてました。3日前のスーパーカップの敗

          2月22日(2017年):記録と記憶

          2月21日(2020年):初VAR

          この日は、テレビ参戦でした。この試合後にJリーグが中断されて、再開されてからも観客を入れない試合が続き、全く参戦できなくなってしまいました。なんで湘南戦に参戦しておかなかったんだろうと後悔しました。 清尾さんが紹介されてる通り、この試合でVARが初めて適用されて話題になりました。以前も書きましたが、浦和レッズは本当に初物好き。しかも、あんまり名誉じゃない方の初物が得意な気がします。 テレビでも何度も何度も鈴木選手のハンドを見せられて、もういいから早く試合を始めようぜと思いまし

          2月21日(2020年):初VAR

          2月20日(2011年):新潟⇄浦和

          この日は、あんまり思い出したくない日ですね。なんでやねんと思った悔しいダービー敗戦の日です。しかも、さいたまシティカップとタイトルが付いてたから、余計に悔しい思いをしました。 この日、CFで先発したのが永田充選手。MFで先発したのがマリシオ・リシャルデス選手。二人とも、この年に新潟から移籍してきました。この頃は、新潟から移籍してきた選手がたくさんいました。この日のFWエジミウソンもそうでした。センターラインが3人とも新潟出身だったんだ。なんで、そうなったのか知りませんが、明ら

          2月20日(2011年):新潟⇄浦和

          2月19日(2022年):サンガスタジアム初参戦

          この日は、サンガスタジアムに初参戦した日です。もう1年前になるんだなあ。 コロナ禍で遠征は自粛していましたが、2021年の天皇杯優勝で高まったリーグ優勝への期待と、噂のサンガスタジアムに行ってみたくて、京都との開幕戦に参戦することにしました。 試合内容は清尾さんが書かれている通りで、終始押し気味だったんですが、ワンチャンスを決められてしまいました。 その年の昇格チームが開幕戦で勝つと残留するというジンクスがあるそうですが、その見本になってしまいました。 一緒に参戦したのは、2

          2月19日(2022年):サンガスタジアム初参戦

          2月18日(2017年):日経デビュー

          この日は、かみさんが仕事で参戦できず、長女と二人で日産スタジアムに参戦しました。 試合は、興梠のPKと武藤のゴールで追いついたけど、終了間際に振り切られました。鹿島に対するモヤモヤを晴らすことができず、敗戦の悔しさもさることながら、2シーズン制を採用したJリーグに対する怒りが募りました。 冒頭の写真は、2022年1月13日の日経新聞の記事と、記事で使われた写真です。スポーツ面じゃなくて金融経済面の記事です。 浦和レッズやプロ野球のいくつかの球団が、選手や試合の写真をデジタル資

          2月18日(2017年):日経デビュー

          2月17日(2009年):野田紘史

          この日は、いつもと同じで記憶がありません。 それにしても、2009年は2月17日が2次キャンプのスタートだったのに、2023年はリーグ戦の開幕日です。開幕がどんどん早くなってるのは、秋春制への移行の予行演習なのかな。でも、20チームになって、38試合を秋春でやれるんだろうか。 ということで、まだ書けていない選手シリーズ第6弾の野田紘史選手です。 野田選手は、この年2009年に阪南大から入団した左SBです。入団してすぐに岡山にレンタルに出てレギュラーとなり、2011年に復帰しま

          2月17日(2009年):野田紘史

          2月16日(2020年):3年経過

          この日は、コロナ禍とクラブの3年計画が一緒に始まったシーズンの初戦でした。当日のメモには「久しぶりの大量得点でホッとした。」と書いてました。 レオナルド選手は、この年に新潟から移籍してきて、ワタクシと同じ誕生日だったし、得点力アップの起爆剤として期待していたので、45番のレプリカを買いました。いきなり結果を出してくれて、レプリカ買った甲斐があったと思いましたが、レプリカは1年でお蔵入りしてしました。 杉本選手は、大きな期待と共に2019年に移籍してきて、1年目はパッとしなかっ

          2月16日(2020年):3年経過

          2月15日(2012年):岩波拓也

          この日は、記憶なしですね。1日に2チームと試合したなんてことがあったんですね。手配が色々と大変だったでしょうね。同じ日に2つの飲み会をセットするみたいな感じかなあ。え、そんなのと一緒にすんな、ですよね。失礼しました。 なので、まだ書けていない選手シリーズ第5弾、DFの岩波拓也選手です。せめてこの日に在籍してた選手にしようと思ったんですが、どうしても岩波選手のことを書いておきたいです。 岩波選手は、2018年に神戸から移籍してきました。ユースから神戸の生え抜きの主力だったので、

          2月15日(2012年):岩波拓也

          2月14日(2015年):岡本拓也

          この日は、スカパーで試合を見て、今年こそリーグ優勝だと期待に胸を膨らませました。ミシャ監督が積み上げて来たものが、いよいよ形になると確信してました。 この年、長崎からレンタルバックしてきた岡本拓也選手は、ユース出身のSB。2010年にトップ昇格しました。派手さはないけど、堅実なプレーヤーです。レギュラーの一歩手前まで辿り着いたんだけど、最後の壁が乗り越えられず、なかなか先発に定着できません。ユース出身の期待の選手だったし、本人もサポーターも歯がゆい思いでした。 2013年に長

          2月14日(2015年):岡本拓也

          2月13日(2011年):サステナビリティ

          この日は、後から結果を聞いて、覚悟はしてたけど、やはり今シーズンは前途多難だなあと思いました。結局、1年間、苦しみまくってようやく残留できた年になりました。 2006年のリーグ優勝、2007年のACL優勝から、弱くなるのは簡単だった。選手の世代交代とチーム運営の継続性とその維持向上を少しでも怠ると、あっという間に降格圏まで落ちてしまう。 サステナビリティという言葉が認知されたのがこの頃だったと思いますが、浦和レッズに当てはめてみると、持続可能性という言葉の意味がよく理解できま

          2月13日(2011年):サステナビリティ