知多四国八十八カ所を歩く
この2年、ずっと忙しかった。その忙しい状態から、あるきっかけで僕はその忙しい日常を失った。責任と緊張からの解放は同時に、モチベーションを失うことにもなった。
まだ50歳そこそこなのに、閑職となった。
人は誰かから期待されていると、とても張り合いのある毎日を送れるものだ。
しかし、その期待から外れて、目標を見失うと、心の中にぽかんと穴が開いた状態になる。
そんな中、何をしようか、と考えた挙げ句、以前、ある女性が「知多半島に八十八カ所巡りをするコースがある。私はすべて歩いた。」と言っていたことを思い出した。
歩こう!思い立ったら吉日。
自宅からJR、名鉄電車に乗り換え、駅を降りる。なんと知多半島では、Google地図上に、八十八カ所巡りの徒歩ルートが自動的に表示されるので歩くのがとても便利である。
僕は、四国の八十八カ所巡りをした、あの清原選手の気持ちだった。すべてを整理したい、その気持ち。
歩く、実に単純なことなのだが、歩いているとすべてから解放されていく気持ちがする。汗をかきながら、時折人に道を尋ねる。
僕は、魅力の無い、中年旅人だ。
そして、寺に到着する。
いくつか寺をまわって気づいたのだが、お寺の奥さんの中に、凜々しくてしっかりした白髪交じりだが、美しい方に遭遇した。
普段会わないようなタイプだ。
俗世間に迎合せず、まるで別の世界を生きているような人だ。
うらやましい。
結局、人の間で生きる、ということは世間に迎合して生きることだ。
この人は世間に迎合せず、自らの世界で確固として生きている力強さを感じた。
自分は一体何をしているのだろう。
そんな思いを胸に寺を立ち去った。