2022年前半を振り返る
2022年が半分終わった。本日7月2日の正午12:00は2022年の折り返し点だ。今年がスタートしてから 182日+12時間が経過したということ。
いや~ 早い、そして暑い ‼
※ 7月2日は "うどんの日" なんだそうです。タイトル画像はそこから‥
私は昨年年末の投稿 ( ↓ ) で、「2022年にやること」を列挙して、決意表明のようなことを書いた。
その記事の内容をかいつまむと‥ 「コロナの明ける日も近い。振り返ったり耽(ふけ)ったりばかりしていないで、そろそろ前を向こう。何らかの機能を発揮して、何処かや誰かを照らさなきゃいけない!」として、「2022年にやること」10項目とその概要を記している。
1年の半分が過ぎた今日、「それらが現在如何なる状況か」照合してみる。下に示した太字が昨年末の note で決意表明した「2022年にやること」、 そして ⇒ 以降に現在の状況を書いていく。
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【仕事】何らか仕事を始める
⇒ 今日現在まだ何もやっていない。最近動いていることがあって、それが上手く運べば秋頃には何か始めているかもしれない。
【note】週1回の投稿 書くべき主題と書く意義を探す
⇒ 毎週日曜日の投稿を続けている。半年で定期投稿26編+臨時投稿1編。 開き直る訳ではないが、私の note の "背骨" は「初老の者のボヤキ」だと割り切った。もとより、説くべき理(ことわり)や教えたい知識があって始めた note ではない。他の方々の示唆に富んだ記事や、世界を紹介する記事を読むにつけ焦りを覚えたが、「背伸びはしない。できない。」と思うに至った。
【散歩】一日一万歩 気候良い時期はジョギングも
⇒ 朝夕の散歩で合わせて一万歩を続けている。4月に血糖値対策を始めたら体重も減少傾向で、それが励みになっている。
【音読】就寝前に細君と輪読 適格で明瞭な日本語を目指して
⇒ 2ヶ月ほど前から止(や)めていた。その理由は「ただ何となく」。音読はいつも私が「やろうか」と言って始める。細君から言い出すことはない。先日私は「たまにはそっちからも言ってよ」と細君を諫めた。すると細君は「私は "やぶさかでない" って感じでやってるんだから」と嘯(うそぶ)く。そうだったのか‥ ちょっと落胆した。
《注》"やぶさかでない" は「喜んで」が本来の意味。細君は現在慣用されている「不承不承」の意味で使っている。
【野鳥観察】鳥の名前と鳴き声の判別
⇒ 散歩で珍しい鳥を見掛けたら特徴を覚えて帰り、図鑑で調べて明らかにする。目覚ましくはないが一定の進歩はしている。早とちりで日本野鳥の会に電話してしまった一件 ( note に顛末記載) は深く反省。
【ギター】弾き語りの練習再開
⇒ 毎日ギターを触ってはいる。歌唱の衰えが著しい。音域が明らかに狭くなっているし、リズム感も悪くなっていることが明らか。急速に自信を失いかけているこの頃。打開策は "ひとりカラオケ" かなと真剣に考えている。
【ゴルフ】コンスタントに二桁スコア 時々80台
⇒ 3月から6月で9ラウンドしたが、一度も100を切っていない。ショットは良くなっていると思うのだが、スコアにつながらない。細君から引退勧告が出そうで怖い。成長が期待できずストレスが溜まるばかりなら、本当に止めたほうがいいのかもしれない。
【英語】YouTube を教材として勉強 TOEIC受験も
⇒ 10項目の中でこれが一番ダメだ。確かに「よし、やるぞ!」と誓ったはずなのだが、続いたのは1ヶ月ほど(多分)。いつの間にかやらないことが習慣化していて、「やる!」と決めたことすら忘れていた。従って罪悪感も無かった。仕切り直しをするかどうか‥ でもダメな自分を見たくないし‥
【史跡巡り】近隣の戦国時代史跡をおさらい
⇒ note の題材探しという不純な動機もあって始めたのだが、この頃は面白さが判り始めているかもしれない。日本史に関するオーソリティは多くいらっしゃるので、私は "にわか" が故の別の切り口を見つけたいと思う。note にはこれまでに「ここらへんの史跡をゆく」シリーズ 5編を投稿した。
【競馬】エフフォーリアを応援 WIN5的中
⇒ 昨年の有馬記念優勝馬エフフォーリアの様子がおかしい。他にも私が応援する馬は何故か走らない。どうも歯車がかみ合っていない。勝馬投票券は秋までお休みとする。そんな体たらくで、当然ここまでWIN5の的中は無い。天皇賞の日のWIN5は、5レース目の天皇賞でタイトルホルダーを切ってしまい的中を逃した。彼の恐るべき成長が見抜けなかった不覚‥
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こうやってまとめてみると、何やら「守れていない」「進んでいない」「向上が見られない」「衰えが目立つ」という現状ばかり。
総括すると「不甲斐ない!」という言葉がしっくりきてしまう。
決意を公表して自らを追い込めるのは note の効用かもしれないが、自分の "ダメさ加減" を突きつけられて、ウンザリしてしまう面もある。将来孫たちが読むことを想像すると、「もうちょっとしっかりしなきゃなぁ」と思う。だが一念発起して変われる気もしないので、もうしばらく「向上心はあるもののちょっと意思の弱い前期高齢者」を続けるしかない。
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私のとても個人的な回顧をお読みいただき恐縮致します。2022年の後半もこれまでどおり、他人(ひと)様の役に立つとも思えない "ボヤキ" を続けて参ります。お付き合いいただければ嬉しい限りです。
< 了 >