【続】 褒められると嬉しい
先週と同じタイトルで投稿します。
前期高齢者2年目の私。2020年1月武漢から帰国以来仕事らしい仕事はしていない。だいたい家にいる。人ともあまり会わない。そんな生活で人に褒められることはまぁない。
いきなり脇道にそれる‥ 英語の "頻度表現" をまとめているコラムを見掛けた。数値で表す発想が面白かった。それは次のとおり‥
100% = always 90% = usually 80% = normally 70% = frequently
50% = sometimes 30% = occasionally 10% = seldom, rarely
5% = hardly, ever 0% = never
現在私の "褒められ頻度" は、seldom 相当か。仕事をしていた頃は、sometimes 褒められていたような気がする。
先週の私の投稿「褒められると嬉しい」では、甥っ子の結婚式の披露宴で斉藤和義の「ウエディングソング」を弾き語り~最悪の出来栄えに意気消沈~予想外にいくつかのお褒めの言葉~とても嬉しかった ことを書いた。
私は褒められることが好きだ。褒められると「もっと頑張ろう!」と前向きになる。私は褒められたい人で、褒められたら伸びる前期高齢者なのだ。
「note を始めてよかったなぁ」と思っている。2021年2月以来、週一回の投稿を続けていて、その内容は変化の少ない初老の者の日常と、当たり障りのない所感と、掘り下げの浅い歴史ものなどだ。
毎週どうにか書き上げこわごわ投稿している記事に、たくさんの方々が💖スキやコメントを下さる。そんな典型的な "褒められ" に、私は得も言われぬ快感を覚える。これを失いたくない。何としても note を続けなければ。
私には三男一女の子供がいる。全員独立している。私が note を始めたことを伝えて「読んでね」とは言っていたのだが、あまり読んでいる気配はなかった。note を勧めてくれた長女も、子育てが忙しいのか読んでいない。唯一独身の三男だけはたまに読んでいたようで「面白かったよ」と感想をくれることもあった。
「何でぇ何でぇちょっと冷てぇんじゃないかい」と常々思っていた。ところが最近立て続けに、長男、次男、長女が note 記事に対し「面白かったよ」「いい話だったねー」と言う。そのうえ「お父さん文才あるんじゃない」「なかなか書けないと思うよ」とまで言う。
褒められたー!とても嬉しい。うーん? でも何故彼らは今になって読んでいることを明らかにして、褒めてくれるようになったんだろう。
彼らの立場に立って考えてみた。私が note を始めた時彼らは「オヤジが何か始めたよ。SNS の怖さ分かってるのかな。匿名性保てるのかな。恥ずかしいことや偏った考えや軽はずみや無配慮やひけらかしを書くかもしれないよな。絶対迷惑だけは掛けてくれるなよ。」と思ったに違いない。
彼らは以降ずっと私の note を冷静に観察し、この度ようやく「まぁ大丈夫なんじゃないかな」の判断に至ったものと推測する。
note に記事を書く時の私の数少ない方針は、ある分野は絶対触れないことと、正誤は問うても善悪は問わないこと。それで軽率や無配慮を防ごうとしている。 ※分かり難い表現だが、いずれ詳しく書く。
そして投稿前には細君のチェックを受ける。分かり易さ、面白さについての感想を聞きたいこともあるが、「情報リテラシー」の観点での判断も期待している。 ※これまで会社時代の恨みつらみを書いた一編が "ボツ" になり、一編が大幅な書き直しになっている。
そんな一定の抑制を効かせた文章を、ようやく子供たちが認めてくれたんだと嬉しく思う。願わくば素直に💖スキをクリックしてくれたら、もっと嬉しいのだが。
< 了 >