見出し画像

日々の憩いと丁寧な気がする暮らしをしたい

話すことと言えば「コロナ」とはなりたくないな、と思う毎日です。
少しずつ何かを変えなければと思い立ったのは去年の年末あたりだったような気がします。元々ステイホームも得意な方で、ぼっち力は非常に高めな性格なのですが、なんだか思ったのです。
『憩いと、喜びと、なんか丁寧だと感じるような、うまいことできないだろうか?なんか、うん。なんか。』

まず思い立ったのは、お菓子を瓶に入れることでした。ビニールのまま、食べかけは丸めて輪ゴムで留めておくという生活をやめようと。なんだかしまう時のガサガサ音も寂しいし、袋が空になるまで食べてしまう。
思い立って早速100円ショップに行き、瓶を買い、クッキーとかりんとうとチョコレートを押し込めました。
なんだか少し「丁寧に暮らしている」と嬉しくなりました。

そしてコーヒー。

昨日もコーヒーの話題でした。生活にコーヒーはとても大切です。
もちろんそんなお高い豆でもありませんし、なんならスーパーで買える豆をいただいています。ただ、適当にサイクルで淹れるというよりは「今日もゆっくり飲めるのは嬉しいし、ありがたいし、恵まれているなぁ。」と思うこと。
自分にとって大きな幸せは然程重要視ではなくて、できれば日常にある見逃しそうな幸せが大切だと思っています。もちろん大きな幸せも嬉しいのですが、見逃しそうな幸せの方が特別感があって。例えば海辺でガラス石を見つけたり、雨の日に綺麗に見える石を持って帰るような。(その綺麗に見える石は、乾いたらなんの変哲もない石で。しかしそれを溜め込んでいた幼少期。)
コーヒーはそんな小さな大事な幸せの一つだと思っています。

そして音楽。

急にレコードが恋しくなったのです。
あのジジッっと鳴るような音が恋しくなったのが、やはり数ヶ月前でした。このステイホーム期を逃すと、もう手にする機会はないのではないか。これはレコードを導入したい。
多分ノスタルジーのような懐古主義のような、子どもの頃を思い出したかったのかもしれません。メリージェーンやスタンドバイミー。思い出はいつの日も糧になると実感する毎日です。決して今が駄目とか、むしろいつも「今が最高」の人間なのですが、それは過去があるからこそ。昔の自分にいつも「今は楽しいぞ。大丈夫だぞ。」と言ってやりたい。

そして過去といえば、数年前に描いた絵が今でも気に入っている。ボールペンで何かの裏に描いた絵のはずで、もう実物は手元に残っていない。

どうか皆様も「小さな幸せ」を見つけて過ごしていただけたら…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?