なんで写真で伝えたいんでしょうね?
絵画や動画という媒体もある中で、
「写真」を選ぶのはなぜですか?
こんばんは、yuki です。
写真って、その人の「視点」すなわち、
コンテクスト
{文脈や背景、状況を把握するための情報、
誰もが理解できる概念}
を提示する一方で、
コンテクスト{行間や、意図の裏側}を
観る側に委ねる側面もある、
曖昧な媒体だと思うんです
その曖昧な“写真”という媒体を選び、
伝えたいんでしょうね?
最後は写真は優しい。に辿り着きました
(媒体の違いのお話しは↓)
なぜ、写真という媒体を選ぶのか
私が撮った写真をみて、同僚がこう言いました
「切ないのに希望も感じて
可愛いのにカッコいい。
淋しいような、希望に溢れているような、
出会いと別れみたい!」
こう言われて何を撮ったと思いますか?
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3
2
1
....
ネモフィラです。
あの、4月中旬に咲く可憐な、
健気な感じのあのネモフィラです
切ない?淋しい?
別れもなにも、あの、
可愛らしいネモフィラです
住んでいるところから、
電車と徒歩で往復3時間、撮影に3時間。
ほとほと苦労して撮影した、
私の視点からのメッセージに対して、
違った視点からの感想は
とても嬉しくもありました
それと同時に、
当時、私はそのキャラクターを
うまく捉えて伝えられていないこと
「青い可憐の凝縮」を伝えたいという目的に対し、
共感を得られなかった
と、あんなに頑張ったのにまだまだだ!と
ちょっとへこんだ記憶があります
(どう受け取るのかは観る人次第なんだけれど)
「いつかの現実」という制約の中で、
自分にしか伝えられない情報を探し求め、
カメラを提げ地球を練り歩き、
自分なりの画を撮ろうとその瞬間を待ち構える
寒い中、暑い中、強風や、雨や雪の中にあっても
写真とはつくづくパッションだ。
この地球上でのいつかの事象に対して、
その瞬間を得ようとするパッションや、
意図を込めたメッセージに対して、
(できれば)アナタ共感してほしい時に、
写真という媒体を選ぶんだと思います
『 これ、可憐で綺麗じゃない?
ワタシはこう思うけど、アナタはどう思う?
(綺麗よね?綺麗だと思ってほしいな) 』
というように
だから写真は、
時に押し付けがましくもなるんだなー
でも、基本的には相手を尊重するのだから、
優しい
ちなみに
絵画は、
「これが、ワタシが思う綺麗というものだ。」
動画は、
「これ、綺麗じゃない?
だからあなたもこうしたらいいと思うよ。」
になるのでしょう、か
こんなことをnoteを書きながら、ふと思った。
写真と同じく共感してほしいと思っている、かも?
共感しておくれ。(♡してね)
☾
次回は、
私はなぜ写真を撮るのか、心理学の側面も交えて
本質的な部分に迫ってみます
ではまた、午後9時に(^_-)-☆
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