写真は物語!じゃあ「エモい」って?
そもそも、エモいって何??
こんばんは、yuki です。
さて、今回は
写真って実に曖昧であるからこそ物語になり、
エモい写真の表現ができるのだ!
っておハナシ
曖昧な事実
現実はあなたの主観次第(↓ミテネ)
と以前おはなししましたが、
主観のままに、感じた色を特に主張したり、
ブラしたり、ボカしたりということは、
誰がみてもそう見える"客観的な現実"を、
いいか悪いかというのは別として、
『主観的な事実』に捻じ曲げ、
その現実は曖昧になります
その一瞬が正しいか正しくないか、
なんて観る側は知る由もないし、
さほど重要でもないんじゃないか
とも思うんです
観る側の私たちには経験や想像力があって、
こういうものだったんだろうな、と
その曖昧な事実と折り合いがつけられますから
モノクロ写真なのに、
その色が脳裏に浮かぶように。
ボケているのに、
その輪郭が分かるように。
ねじ曲げられた撮り手の主観的な事実に、
みる側は経験や価値観と照合し折り合いをつけ、
情景を想像し、再構築しています。
みる人にバトンタッチされて、
その人がいかようにでも解釈して、
その人の物語になる
それこそが、みてくれるから作品になる。
ということだと思います
エモい
漂ってくるメッセージ性を嗅いで、
じんっときたりしたことありますよね。
それ、エモいからでは?
逆に、カタログみたいな客観的現実の写真や、
現実からかけ離れすぎた表現は
美しいとか、かっこいいと驚嘆することはあれど
そのヒトにとっての物語ではなくなるような気がします…
エモい、とかまばゆい、とか儚い、とか...
もろもろありますね?
こんな感情はどこからくるのでしょうか
その写真に自分を重ねて、想いを馳せる
ところからきている気がします。
あの頃のおぼつかない青春。
これから訪れるだろう黄昏。
無我夢中でがむしゃらに向き合ったコト。
やってみたかったコト。
今までに見たことがあるような懐かしい風景。
行ってみたい絶景。
少し前に自分が辿ってきたようなストーリーや、
そこに願っていたシーンが画面に宿っているから、
エモを感じるんだと思います
では、いわゆるエモいを撮るなら、
過去過ぎても未来すぎても非現実的
現在が現実的とするなら、
ちょっと過去もしくは、
ちょっと未来の合間が、エモい
画角の時間軸イメージ
画角イメージに当てはめると、
[ちょっと前]の中望遠、
[現在進行形からちょっと先]の準広角は
エモいを演出できそう
60㎜~135㎜の範囲の方が広いので、
「過去寄り」がエモいを演出しやすいんじゃないかなぁ
そして、
特定の場所やモノ、というより
どこにでもあるような日常の風景の中で、
誰かと共有したいなと思えた
「コト」や「雰囲気」が重要
な気がする
↓画角のイメージやキーワードはこちら↓
私のエモいのイメージは、
あの頃の青春のような「スタンド・バイ・ミー」の
おぼつかない透明感や、きらきら感。
「ALWAYS 三丁目の夕日」のノスタルジー感
色が持つイメージって大事なんだなぁと思います
日常的で、誰かと共有したいなと思わせる情景で、
準広角もしくは、中望遠㎜くらいの画角で、
何かかすみがかった思い出を思い出すかのような
画づくりができたら、
エモいができる気がする。
あ、エモいはひとつのジャンルであって、
写真はいろいろだと思うのです。
どう魅せたいのか
によって、
写真の「コンセプト」(謳い文句)が変わってきますね
↓次々回のnoteで詳しくかいてます
☾
次回、
そのレンズ(画角)で撮ることが、
その写真のテーマになるんじゃない?
ってお話し
ではまた、午後9時に(-′д`-)ゝ
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