ラスキ「近代国家における自由」と現代社会
ハロルド・ラスキ「近代国家における自由」を読み終わりました。
出典
ハロルド・ラスキ「近代国家における自由」岩波文庫
1930年に出版され、1948年に新版として諸論が追加された書籍ですが、感想としては、70年以上前に出版されたにも関わらず、現代社会が含む問題点に通ずる指摘が多々あるということです。やや悲観的に見れば、これは社会的問題が、70年経った今でも根本的に改善されていないという事を示しているのでしょう。
以下、各章の骨子をやや乱雑にまとめます。
第一章:自由と平等は不可分である。平等な社会でなければ自由は成立しない。ここでいう平等とは、各個人の経験を尊重し、それを経験していない他方に経験を強制しない事である。
第二章:言論の自由は、それが国家に対して暴動を起こさない限り認めるべき。暴動を起こすかもしれない、だけでは制限すべきでない。
第三章:「教育」と「報道」が平等な社会を成立するために重要。国家主権を認めると、戦争に発展する可能性がある。だから、国際社会による模範を以って国家主権を制限すべきである。
様々な観点から、ラスキは自由について論じています。その中でも一貫している主張は、「権力は市民の不断の監視によって、その暴走を抑えなければならない」ということです。
ラスキは権力者たちの経験と、市民の経験が異なる事を指摘して、権力者たちの経験が市民に押し付けられる事を危険視していました。
だからこそ、両者の経験が共通となるような関係こそが平等な社会になるための前提条件だと述べています。
また、報道が一方に偏り他方を攻撃する状態を、ラスキは良しとしていません。報道とは公平中立であるべきと考えていました。
現代社会は、まさにラスキが批判した状態にあります。政府は国民の立場を真に理解しているとは思えず、報道は、政府の行動批判を日夜繰り返すのみに終わっています。
コロナ後の世界は、この歪な社会を是正する好機を含んでいるのかもしれません。
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