一次情報を見極める
日々触れる情報。その情報は信用できるものだろうか。情報の元になっている事象からいくつかのフィルターを通すと情報の信用度が低下する、という話
ある現場での出来事。
数ヵ月前に弊社も関わった現場で問題が起きているらしい。当時担当していた発注元の営業とは別の営業からの又聞きで、その情報自体も別の業者から聞いているとのことだったので、その時点での真相は定かではないが、話の内容だと弊社も問題の原因の一端があるかのようであった。
気になったので発注元の営業に連絡を入れたところ、ある業者のミスで問題が起こっているらしく(弊社には問題はなかった)、よく聞いてみると又聞きした情報とはかなりかけ離れ、だいぶ話に尾ひれがついて一人歩きしている様子だった。
この件に限らず、情報は時間や人を介在すると歪曲する可能性がある。
情報を入れる際には、その情報がどの時点ですくい上げられたものかを見極める必要があるのだ。情報元、またはそこから近い、いわゆる一次情報ならともかく、今回の私のような、二次、三次となると、その情報の信憑性を疑う必要があるのだ。
伝言ゲームのように、ある情報を数人の人を介して伝え聞くと、その数人の主観や解釈から妄想などの尾ひれがつき、やがては全く本質とずれた話が出来上がることになる。人によっては話を面白おかしく聞いてもらおうと、サービス精神から誇張や過大表現でカスタマイズ(いわゆる話を盛るというやつ)した元の情報とは似ても似つかない話に仕上がる可能性まである。
世間話や笑い話の類ならそれでも問題はないが、ビジネスやシビアな話なら一次情報を確かめる必要があるのだ。まさしく「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」と言ったところだろう。
この情報元の危うさに何度も泣かされてきた経験から、非効率とは知りながらも現場には顔を出すようにしている。
現場には自分の仮説や空想とは全く違った真実が落ちていることも多い。そして拾いに行った情報以外の気づきをもたらしてくれることもあるのだ。
そして今や情報化社会、その気になればいくらでも情報収集は可能だが、その情報自体が信用に値するものかどうかは自身で判断しなければならない。多くの情報の中から質のいい情報を集めるのは嗅覚や自身の知見も必要になるが、それまでの多くの失敗も経験値として必要になってくるのではないかと思う。
インターネットで気軽に得られる情報も言語化する人間の性格やその裏にある利害や利益が関与する可能性があるため、鵜呑みにするのは危険である。そしてアンケートなどの声も、それだけで相手を理解した錯覚に陥りやすい。
やはり、最後は検証と自分の目で確かめる、ということが大事になるが、その自分の目も様々な情報にさらして鍛えることで、より確かな質のいい情報が精査できてくるのだと思う。
最近では一見真っ当なことを書いている本でも、「あれ?」と思う違和感を感じるものがたまにある。その本がある種の勧誘や商品、サービスへの導入として機能しているのでは、と感じるものは大抵都合のいい情報でまとめられている。手の込んだものだとレビューまで代価をもらい投稿するサービスまであるというのだから困ったものだ。
私も私的なブログとはいえ、情報を発信していることには変わりはないので、しっかりと価値をお渡しできる情報を提供できるよう心掛けたいものだ。
一時情報に触れる。誰かの話ではなく、現場での事象を自分の目で確かめることが重要である。
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