【別世界】キャバクラにみる価値観のギャップ
今朝は寝不足である。
単純に帰宅時間が遅かったのと、その後も一種の興奮で頭が冴えてしまったのとで睡眠が十分にとれなかったせいだ。
昨夜、とある方々との会合が都内であった。対面で顔を合わせるのは実に5年ぶり、ご無沙汰ということもあってその場は大いに盛り上がった。
そしてその盛り上がりの勢いのまま二次会である。いわゆる若いお姉さんがいるお店へ流れたのだが、そのお店は参加者の方が最近通い詰めているということもあり、いきなり奥の個室へ通され、バブリーな宴がスタートしたのだ。
一応断っておくが、ここまでの話、私はシラフである。よくもまあ酒も飲まずに二次会まで付き合うなという声が聞こえてきそうであるが、この会合は一番若い私が声をかけ集まっていただいたのだ。
その私が皆さんを見送らず、宴が最高潮に盛り上がっているタイミングで抜けることができるだろうか。まあ、その後三次会に移動するタイミングで帰らせていただいたのだが、基本的に断酒した私はそこまで、ジンジャーエールと炭酸水のみで乗り切っていた。
キャバクラにシラフで挑むのははじめてで、終始自分だけがまともな空間というのも新鮮であった。
シラフゆえ、ずいぶんとつまらない会話を展開していたと思うが、そこには夜の街だからだろうか、若い娘だからだろうか、「パパ活、ギャラ飲み、ホスト、風俗」などのワードが躊躇なく飛び交っていた。
しかも私の横に座った娘は痛々しいほどの整形顔で、所々赤みを帯びているのは術後間もないダウンタイムかと思われた。
その血の通っていないような顔で、先程の普段聞きなれないワードを発する。酔っていれば問題ないだろうが、こちとらシラフなのだ、なぜ高額の支払いをしてまでこのような居心地の悪さを強いられなければならないのか不思議ではあったが、これも社会勉強と彼女の話に耳を傾けたのである。
パパ活もギャラ飲みも風俗も、すべては消費のための手段であり、そこにあまり深い意味などないらしい。必要な金額に対してコスパやタイパを換算して稼ぐ、そのお金は私のような凡人では考えられないほど高額ではあるが、「若さ」という期限付きの価値がなせる業である。
そのことに気がついてはいるものの、今更普通の仕事などできないと彼女らはいう。今しかできなことを全力で楽しむ、という態度はいかにも若者といった感じではあるが、今の感覚や入れてしまったメスなどがその後どうなるかは想像すらしないのだろう。
私も若い頃は目の前の快楽しか頭になかったが、そこから20年以上経った年齢で刹那的な消費を繰り返す話をシラフで1時間以上聞かされると、気分は悪くなるのだ。
彼女たちの人生についてとやかく言うつもりはないが、今の私にとってこの様な場所はもっとも縁遠いところになったのであろう。たまにはいいが、本当にたまにのぞき見する程度でいいと、改めて感じた次第。