何をして得た報酬か?ということがその額面より大事
突然だが、私の役員報酬の振り込みは毎月末である。先日、顧問税理士と今期の役員報酬を決める際に増額を申し出た。そして、増額された過去最高額(といっても大したことはないが)の役員報酬の振り込みは来週からということになる。
前期の赤字という決算内容を考えれば、役員報酬の増額なんて頭がイカれているか、計算のできない守銭奴かと思われるだろうが、先日の決算報告の際に伝えた税理士からも「強気ですねぇ」といった皮肉とも発破ともとれる感想が漏れたのも理解はできるのである。
しかしながら、まったく根拠がないわけではない。ある2つの返済が前期に終了したということで、その分を上乗せしたのもあり、会社の収支的にはプラマイゼロ。けっして無理をしたわけではないが、考え方によっては、前期のマイナス分を補填するために浮いた返済分の利益は会社にプールしておく、という守りの姿勢もできただろう。
しかしながら、そうしなかったのには別にお金に困っているわけでも、欲しいものがあるわけでもない。税理士の感想が発破であるのなら、ある意味正解ということになる。
前期の赤字は私の実力不足である。それなら少しでも謙虚に行けよ、という意見もあるだろうが、役員報酬を上げる効用はその額面を目にしたときに「これだけもらっているのだから」というプレッシャーを自らかけるという負荷の要素があると思うのだ。
そして、その額面には当然原資という根拠が必要になってくる。それだけの利益を自分で確保せよ!ということであり、自分で自分の尻に火をつける行為は行動せずにはいられない状態を自己プロデュースするという意味を持つ。
特に意識はしていなかったが、数年前、別業種の経営者である友人の役員報酬を聞いてその額面に傷ついたことがあった。友人をディスるわけではないが、その業種はポジショニングの面で優れているというだけで大きな利益を得ることができるという点、それもたまたま知り合いから譲り受けた会社という点においても、当時の余裕がまったくなかった私にとって理不尽極まりない、と勝手に嫉妬していたのである。その額面を上回る役員報酬を今期から得ることについて、感慨がなかったかといえばウソになるだろう。
他人と比べるつもりはないが、自力でなんとか手にしたお金と、優位な立場で手にしているお金とでは意味が違う。濡れ手に粟ではないが、苦労せず得たお金は活きてこないということは、まわりの経営者を散々見てきて思い知らされている。
その友人もそれなりの努力はしているだろうが、2年前に話をした際には収入をさらに増やす目的として、なにやら怪しげなビジネスに手を出しているようであった。お金が目的にとなってしまってはそういう方向に走ってしまうものだと思い、一応は止める言葉はかけたのが、彼の収入倍増計画の熱は冷めることはなかった。
収入を得ることは大事なことだが、それよりも何を考え、どうやってそのお金を得たか、ということの方が大事だと思のだ。
今期はより一層その額面による負荷を利用して、考えを深めていきたいと思った所存だ。