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着手できたらその改善は8割達成できている
やるべきことをある程度考えたら着手してしまう。あとは進捗とともに軌道修正すれば形になっていく、という話
昨日の投稿でぽっかり空いた予定にストックしたアクションリストに手をつけるという内容を記した。
宣言通り、いくつかの施策を実行に移しその先の委託できる領域は業者にお任せすることで一旦私の手からそのプロジェクトは離れた。
私の常套手段だが、やると決めたプロジェクトにかんしては、おおまかなプレゼンとプランで目的と欲しい成果物をまとめ、その時点で内容が50%を超えているようであればその道のプロにとりあえず投げてしまうのである。
この時点で内容を詰めすぎたり、完成度が高まってからお願いするようだとこちらもかなり時間をかけて策を練らなければならず、私のような怠け癖のある人間であれば、その大変さから重い腰が上がらず、実行するべきかというスタートラインに立つまで1人悶々と考えてしまった挙句、やるべきことを行方不明にさせてしまう始末なのである。
であるからして、やりたいことは紙にラフなイラストなどとともにその時点で明確になっている目的や欲しい成果物などを走り書きして「あとはお願いね、不明な点は連絡して」といった感じでとりあえず、人を巻き込んでスタートを切ってしまうのだ。
人を巻き込むことによって、その都度進捗や訂正や改善のやり取りが発生するので、そのプロジェクトが行方不明になることはない。お互いの意見をすり合わせながらまとまった形へと勝手に進んで行くのだ。
だからこそ一人で考える時間は最小限にとどめておく方がいい。一人で考えている間は期限も甘くなり、責任や義務も発生しないことから内容こそ詰まってはくるが実行までの距離がかなり遠のくのである。
やりたいことの質を自分で高めるより、実行してどのような成果が得らるかが興味関心の本質かと思う。この成果さえも芽を出すまでは一定の時間を要するのだ。
であるならば、スタートは早い方がいい。私の感覚だとひとつの実行したプロジェクトに何らかの兆しが現れるのには早くて数ヵ月、長いものだと1年の単位で時間を要するのだ。
着手するのに同じだけの時間をかけて質を高めるなら未完成で発射し、その後軌道修正をかけてブラッシュアップしていく方が思うような成果に近づけると思うのだ。
昨日は思いがけずアクションリストのストックから種を蒔くことができた。そのいくつかの種が芽を出すまでの期間は何とも言えない楽しい時間ではあるが、今まで蒔いた種の生存確率からすれば100個蒔いて1つか2つ目を出せば御の字というレベル。
種蒔きに満足せず、次の種の仕込みやアクションリストの実行は定期的に行動に落としていかなければ萌え芽を拝むことさえ難しいかもしれない。
気分的には少したまりすぎたアクションリストのストックが解消されてスッキリしたが、気持ちはすぐに切り替えて次のフェーズに向き合いながら現状の仕事をさばくスイッチを入れていかなければならない。
何かに追われなければ走れない性格にもウンザリするが、目的を失いどこまでも怠けてしまう昔のような自分は見たくないので、強制的に種を蒔きながら自走する悲しき小作人なのである。
やるべきことは実行して形になることが、とりあえずのゴールである。一人で遂行を目指すのは自己満足の域を超えない