革命は差別を越えられるか?―七・七華青闘告発の現代的復権―
神戸みかげ
I はじめに
資本論やマルクスをテーマにした書籍が書店に並び、若者たちがジェネレーション・レフトと称されるなど、時代錯誤な響きさえあった階級対立が改めて意識されつつある。資本家階級と労働者階級という境界がますます強固になる現代において、その越境はもはや不可能であるかのように思われる。人権や平等といった民主主義社会の建前を無効化してしまいそうな、越えられない絶対的な境界を前にして、革命を唱えるものもいるだろう。その際、労働者階級としての「私たち」の同質性が強調され、「私たち」の団結を妨げるような境界が存在しないかのように振舞われることがある。しかし、実際には、ジェンダーやエスニシティ、障がい、セクシュアリティなど無数の属性によって、「私たち」の間にも境界線が引かれている。さらに、その境界線は、権力の大小を伴い、差別者と被差別者を生み出す。このような境界を前にして、差別者と被差別者、マジョリティとマイノリティが、どのようにして社会変革のために連帯・団結できるかが本稿の問題意識である。
具体的には、左派のマイノリティに対する理論や実践の中から、1970年のいわゆる「七・七華青闘告発」を主題とする。「七・七華青闘告発」の内容は後述するが、新左翼党派がマイノリティの問題に取り組む契機となった。「七・七華青闘告発」を捉えなおすことで、よりよい未来を構築するための社会運動に小なりといえども、理論面で貢献することが出来れば幸いである。
II 本質主義の克服に向けて
まず、現代における左派のマイノリティに対する取り組みの態度を概観する。多くの左派は、平等や人権の尊重を基本的な理念に据えて活動してきたが、マイノリティに対する党派のこれまでの態度や理論には問題があると言わざるを得ない。以下に、典型的な左派の言説を示す。
一つは、マイノリティの存在や運動を反動的なものとみなすことである。日本共産党の志位委員長は、第28回党大会において、1970年代の「赤旗」掲載論文などで同性愛が性的退廃の一形態であると規定したことを「間違い」として撤回した。現在では同性婚を支持する共産党でさえ、自らが望む社会像に反する行為として同性愛を規定していたのである。このように、反動的なものであると先験的に決めつけることは、古典的な差別であるといえよう。
逆に、マイノリティこそが非和解的存在であり真に革命主体として登場できるという見方もある。左派が従来依拠してきたマルクス主義といえば、労働者階級に革命主体という特権的地位を与えている。にもかかわらず、特に先進国を中心に革命が成就しなかったことから、もはや労働者階級は革命主体としての地位を失ってしまったともいえる。そこで、「堕落した」労働者階級に代わって、新たな革命主体として登場するのがマイノリティである。マイノリティは、様々な差別や抑圧を受けているだけに、闘争を決意させ、発展させる条件が揃っているかのように見える。実際、竹中労、平岡正明、太田竜らは「窮民革命論」を主張し、アイヌや在日コリアンなどの民族的マイノリティや日雇い労働者を革命主体とみなした。しかし、マイノリティであることのみを根拠に、革命主体として位置づける作業は難航を極めるだろう。なぜなら、マイノリティも労働者階級と同様に「堕落」する可能性があり、マイノリティの運動が常に革命的なものであるとは限らないからだ。社会から排除されていることへの怒りから始まった荒々しい運動であっても、いずれ資本や国家による買収や包摂に直面する。反動的であると決めつけることが出来ないのと同様に、進歩的であると決めつけることもまた出来ない。
では、先験的に反動的とも進歩的とも決められないとき、マイノリティ問題はどのように扱えばよいだろうか。結論に入る前に、もう一つの形態を紹介しておきたい。それは、あくまで革命主体は労働者階級だが、同盟や支援が成立する限りにおいてマイノリティも革命を担えるとする考え方である。新左翼の党派の一つである中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会中核派)の機関紙「前進」の国際婦人デー(国際女性デー)に際してのアピールでは、次のように述べられている。「LGBTの人々もイギリスの1980年代の炭鉱ストライキを真っ先に支援したように、ともに連帯して抑圧と闘う存在です。資本主義を打倒し、新しい社会を建設する主体・労働者階級とともに新しい社会をつくりましょう。」(週刊『前進』、2020)。労働者のストライキを支援する「LGBTの人々」が存在することを根拠に、ともに闘うことを呼びかけられているが、そこには、性的マイノリティに対する労働者階級側からの連帯は描かれず、新しい社会を建設する主体=革命主体である労働者階級中心の革命運動像が典型的に示されている。もちろん、このような労働者階級中心の革命観は、マジョリティとマイノリティの対等な連帯の基礎とするには不十分であり、革命の役に立つ限りにおいて共に闘うと言わんばかりの態度は、それ自体が差別を構成するだろう。
以上の議論から、次のような結論が得られる。第一に、あるマイノリティの運動が、先験的に反動的である、もしくは進歩的であるとは決められないことである。第二に、革命主体をマイノリティとみなすのも、労働者階級とみなすのもそれぞれに問題があり、十分な説得力を持たないことだ。この二つの問題は、本質主義として整理できる。ここでいう本質主義とは、ある人や集団およびその実践に対して、不変の「本質」が内在的にあると考える立場のことである。これに対し、「本質」的に見えているものは、社会的に作られたものであり、完全に自由とまでは言えないとしても、ある程度は可変であると考える立場を構築主義という。本稿では、構築主義のアプローチから考察を進めていく。
あるマイノリティの運動が、反動的か進歩的かはあらかじめ決まっておらず、その性質は社会的に作られることを指摘した。では、社会的に作られたその性質が反動的、あるいは進歩的になる時、どんな要因があるだろうか。ラクラウ=ムフは、「地域的コミュニティー運動、エコロジー闘争、性的マイノリティー運動などの政治的意味は、はじめから与えられているわけではない。つまり、それらの政治的意味は、その他の闘争および要求とのヘゲモニー的節合に決定的に依存しているのである。」(ラクラウ=ムフ2012、pp.203-204)と述べている。簡単に言えば、特定の社会運動や闘争の性質は、それ自体ではなく、その他の闘争や要求との関係によって決まるということだ。例えば、性的マイノリティの運動は進歩的な価値観を体現するものとして理解されがちだが、イスラム嫌悪や国家主義と結びつけば右派的な運動(「ホモナショナリズム」)となりうる。さらに、運動間の関係性はどのようなものが望ましいかについても、ラクラウ=ムフは回答を与えている。「労働者の利益の擁護が、女性、移民、消費者の権利の犠牲によってなされないためには、これらの異なった闘争間に等価性が構築される必要がある。こうした条件に依拠してのみ、権力に対抗する闘争は真に民主主義的なものとなり、さらに権利の要求は個人主義的な問題編成の基盤のうえでなされるのではなく、他の従属化された諸集団の平等権の尊重という文脈においてなされるようになる。」(ラクラウ=ムフ2012、pp.396-397)ここでは、労働者階級を革命主体として特権化することもなく、マイノリティ運動を無条件に称揚することもなく、諸闘争の間に等価性を構築することが謳われている。再びホモナショナリズムの例を持ち出せば、この論理は、性的マイノリティ運動と移民やイスラム教徒、外国人の権利擁護のための闘争との間に等価性を構築することを要請するだろう。
以上、本質主義を排したアプローチによる社会運動のあり方の一例を示した。各党派の主張や実践を引用して示したように、これまでの日本の左派が本質主義を脱却することに成功してきたとは言い難い。一方で、1970年という比較的早い時期に、本質主義を揺るがすような重大な契機が存在していたことも忘れてはならない。それが「七・七華青闘告発」である。
III 七・七華青闘告発の衝撃
(1)七・七華青闘告発
七・七華青闘告発とは、入管闘争に取り組んでいた華僑青年闘争委員会(華青闘)が1970年7月7日に行った新左翼党派への告発を指す。この日は、盧溝橋事件33周年を記念する集会が予定されていたが、準備過程で、中核派が共催団体を巡って介入したことから、華青闘が主催を辞任し退席する事件が生じた。この時、中核派のメンバーが華青闘の退席を肯定的に捉える発言をしたことで、さらに批判が高まった。当日の集会では、華青闘が「訣別宣言」を発し、新左翼党派が内包するナショナリズムや取り組みの不足を糾弾した。これを受け、党派の代表者たちは自己批判を行った。これが一連のあらましである。
一見すると、七・七華青闘告発は、新左翼党派の過去の不祥事に過ぎない。しかし、これを日本の「68年」(1968年)の焦点として、対象化したのが絓秀実である。絓(2018)は、「七・七集会は、日本のニューレフトのなかにマイノリティー運動の視点が公然と導入された濫觴であり、運動の決定的なパラダイム変換を印すものとなった」(p.396)と評している。これ以降、絓が述べるように、新左翼党派はマイノリティ運動に力を入れて取り組むことになる。もちろん、それは前述したように労働者階級による革命という本質主義的な規定をなお脱することは出来ていなかったが、少なくとも自己変革の契機として存在していた。
当時の中核派の指導者である本多は、次のように言う。「われわれは、革命的共産主義運動を革命的共産主義運動として真に前進させ、プロレタリアート人民を自己解放の革命的主体として真に前進させるためには、帝国主義的抑圧民族のプロレタリアート人民として自己の民族排外主義、差別=分断意識との主体的な対決をおしすすめ、在日アジア人をはじめとする被抑圧民族の人民のたたかい、部落民を先頭とする被抑圧諸階層の人民のたたかいをもって、われわれの共産主義を根底的に問いかえし、われわれの革命戦略を決定的に前進させなくてはならなかった」(本多、1973)ここでは、労働者階級を革命主体とみなし続ける一方で、「自己の民族排外主義」「差別=分断意識との主体的対決」(注:太字は引用者による)と労働者階級や共産主義者自身の自己変革が重視されていることが分かる。
そして、かれらは内なるナショナリズムを批判し、在日コリアン・中国人や被差別部落出身者の運動に連帯するだけではなく、差別全般を主題として扱うようになった。中核派の元メンバーであった水谷・岸(2015)は、七・七華青闘告発を「日本帝国主義下におけるさまざまな差別=人民分断支配の打破をプロレタリア革命の戦略的課題とするものでもある。したがって革共同を<労働者階級の党>であるばかりか、<在日朝鮮人・中国人の党><被差別部落大衆の党><「障害者」の党><被爆者・被爆二世三世の党><女性労働者・プロレタリア家族および女性大衆の党><アイヌ民族の党>として、さらには<農民の党>として、自覚的に建設しようとする新たなたたかいでもあった。」(p.37)と総括している。差別=分断と安易に断定している点や、カタログ的に列挙されている被差別属性の中に性的マイノリティなどが含まれていないのはある種の時代的限界を示しているが、画期をなしたことは間違いない。かれらは、こうした思想を「七・七思想」として確立し、諸闘争に取り組んだ。労働者階級による革命を掲げる党派が、労働者階級以外のアイデンティティにこれほどまでに注目し、自らの課題として定義していたことは、今日の左派の本質主義を脱する契機が存在していることを示すだろう。
(2)血債主義という批判に応えて
このような意義を持つ七・七華青闘告発だが、近年になってその受容を巡って、新たな変化が生じている。七・七華青闘告発を当時、もっとも深刻に受け止めていた中核派自身が「七・七思想の革命的再確立」を呼びかけ、「2007年7月テーゼ」を機関紙上に発表したことが、その一つである。
2007年7月テーゼでは、「七・七思想」の一面的で誤った理解の例を挙げている。それは、第一に「被差別・被抑圧人民も労働者階級と同様に「革命の主体」であるとして、被差別・被抑圧人民の闘いと労働者階級の自己解放闘争を並列的に扱う」(週刊『前進』、2007)ことであり、第二に「現実の労働者は差別と排外主義にまみれており、これを徹底的に糾弾して正さないと革命の主体として目覚めることはできないという考え方」(週刊『前進』、2007)である。後者は糾弾主義であるとして批判される。
こうした中核派の現在の路線について、外部から評価を下すことは外在的かつ一方的な批判になってしまうため、ここでは避ける。代わりに、血債主義・糾弾主義であるという批判を検討することで、社会運動におけるマイノリティとマジョリティの連帯のあり方を模索したい。たしかに、マジョリティであるからといって、血債を主張され、糾弾を受けることは心地よいことではないし、社会を変革する主体としての価値を否定されることは行き過ぎのように見える。マイノリティの権利擁護が盛んに主張される現代において、ポリティカル・コレクトネスに反感を抱く人々が一定数いるように、こうした風潮に違和感を覚える人も少なくないだろう。
しかし、糾弾ということ自体が忌避されることで、むしろマジョリティとマイノリティ、差別者と被差別者の分断を維持、強化してしまう可能性があることも指摘しておきたい。ここでは、「矢田教育差別事件」における差別糾弾闘争を例に考えてみたい。矢田教育差別事件は、1969年に発生した、教員の労働組合役員選挙における挨拶状の内容が差別にあたるかどうかが争われた事件である。その内容については詳論しないが、そこで差別糾弾闘争が取り組まれたことに注目したい。そもそも、差別糾弾闘争はなぜ必要なのだろうか。友常(2019)は、江原由美子を引いて、「差別する側と差別される側には認識の非対称性が存在する」(p.211)という。非対称性ゆえに、何が差別にあたるかは、差別者と被差別者で一致することが難しい。だからこそ、友常(2019)は「経験の非対称性を突破するために、糾弾は<強制性>を必至としている」(p.211)と指摘する。矢田教育差別事件では、糾弾を受けて、教員が差別を認め、自己批判を行ったが、後に軟禁状態で強制されたものだったとして撤回した。それどころか、糾弾を行った部落解放同盟大阪府連合会矢田支部の幹部を監禁罪にあたるとして告訴した。第二審では、挨拶状の差別性が認められた一方で、糾弾行為の行き過ぎた点が監禁罪であると認定されて有罪判決が下された。裁判所の判決通り、これを犯罪として片づけるのは簡単だが、見過ごされてはならないのは、非対称性のなかで差別を認めさせるための強制力が一定程度、必要とされていたことであり、糾弾の中で「差別―被差別関係についての認識の共有の瞬間が存在した」(友常2019、p.232)ことである。差別を差別と認めさせるには、差別者に認識の転換を迫る力が求められ、行き過ぎた糾弾はよくないと一般的に言い切ることは出来ない。そのため、差別が無くならない限り、差別糾弾闘争は必要であり、糾弾によって、認識も経験も異なる差別者と被差別者が一致する可能性が開かれるのである。もし、糾弾という行為そのものを一切回避することを試みるならば、こうした非対称な差異を埋める可能性を閉ざしてしまい、差別が差別として認められないまま、温存されてしまう。
また、血債についても、字句通り「血の債務」と捉えると、差別者と被差別者の図式を生まれつきの血統によって固定し、被差別者が差別者に対して何でも主張できるかのような印象を与える。だが、無自覚な差別者の責任を追及していると考えると、アクチュアルな問題として回帰する。例えば、現在の圧倒的多数の日本人は、実際に戦争を遂行したわけではないが、そのことをもって、現在の日本人に戦争責任・加害責任が存在しないと言い切れるか、という問題がある。このことを鋭く提起したのが、東アジア反日武装戦線である。かれらは日本人を「日帝本国人」と規定し、新植民地主義のもと、経済的にも侵略を続けている「日本帝国主義」を問題化した。さらに、ウルリッヒ・ブラントとマルクス・ヴィッセンが「帝国的生活様式」と呼んだように、現在でも、グローバル・サウスからの搾取や収奪を伴わなければ成立しないような現実の中に、私たちは日々生きている。こうした侵略や搾取は、生活の中に完全に入り込み、意識することすらない。武装闘争は極端な選択肢であるにしても、日常の犯罪性を告発する問題意識と加害者としての自覚は理解したい。このように考えると、現在の日本人も差別者、侵略者としての地位に安住しているのであって、過去の戦争責任・加害責任を自らと切り離すことは難しくなる。
以上、差別者と被差別者の置かれた状況に照らして、血債と糾弾について考察した。マジョリティとマイノリティの権力関係を抜きにして、この問題を語ることは出来ない。両者が連帯するための契機として、血債と糾弾を捉えたい。
IV 現代的意義
華青闘による七・七告発は、差別者になりうる労働者階級の自己変革による被差別者への接近をもたらし、自己批判という形でマジョリティ側も真摯にマイノリティの置かれている現実を理解する可能性を開いた。属性に基づくマジョリティとマイノリティの区別や境界を越え、連帯を勝ち取る契機が確かに存在していたといえる。フェミニズムやマイノリティ運動が目立った欧米の「68年」に比べ、同質的ともいえる日本の「68年」にとって、その影響力と意義は軽く扱われるべきではなく、運動の歴史を語る際にも捨象できない要素である。また、七・七告発は、安全保障や経済などのトピックに比べて、副次的な問題として扱われやすい差別やマイノリティに関する問題も、革命を目指す党派にとって無視できないことを否応なく突きつけた。
こうした認識の転換をもたらしたのは、マイノリティである華青闘の決起に由来する。新左翼による差別―それは日本社会に内在する差別を反映しているが―にかれらが沈黙していれば、決して変化を生み出されなかった。敷衍すれば、マイノリティの決起が決定的な意味を持つと言えるかもしれない。しかし、現に差別を行っているマジョリティにあたる党派がマイノリティの決起に期待し、教材のように扱い、自己改革の前提とすることは許されることではないだろう。差別を生み出し、その是正すらマイノリティの告発に依存せざるを得ないことに対する自己批判の視点を欠いては、傲慢で差別的な体質は変わらない。その意味で、七・七告発を新左翼が差別問題に取り組む契機になったということを美談として捉えることは出来ない。
七・七告発の限界は、新左翼の認識の変化が不十分なものに留まったことにも見られる。引用でも示したように、分断=支配という安易ともいえる断定が繰り返し持ち出されるが、これはかれらが革命主体とみなす労働者階級自身による差別が、支配者による策略であるという発想の域を出ない。裏返せば、社会主義革命によって分断=支配の目的が消滅すれば、差別の根拠が失われ、差別がなくなるという論理にもなる。単純化すれば、社会主義革命を実現しさえすれば、差別は解消できるということにもなりかねない。現在の資本主義社会において、その真偽を判定することはできないが、こうした革命万能論に楽観的な響きがあることは否定できないだろう。資本主義である限り、分断=支配、つまり差別が解消できないとする見方は、全ての反差別の取り組みを革命運動に回収する論理的帰結をもたらすことも見逃せない。
資本主義が諸悪の根源であって、労働者階級は本来、差別しないという性善説的に免罪する見方は、労働者階級の革命主体としての適格性を主張するための口実に過ぎない。IIで述べたことを踏まえると、あくまで革命主体は労働者階級とする考え自体が本質主義にあたり、克服されなければならない。等価な連帯の中で、労働者階級と被差別当事者の関係が構築されなければ、差別をなくすために労働者階級の革命に協力せよ、という極めて単純な論理に切り縮められてしまう。
この単純な論理の帰結の一つに、新左翼党派の中で引き起こされ、しばしば繰り返されてきた性暴力事件とその隠蔽があることを指摘したい。明らかにされている代表的なものだけで、第4インターナショナル日本支部によるABCD問題、2019年に発覚した中核派の「女性差別事件」、革共同再建協議会同盟員による性暴力事件などが挙げられる。新左翼党派の権力に対する防衛性・秘匿性を考慮すれば、表面化していないだけで実際に引き起こされた事例は更に多いと考えられる。そして、往々にして加害者への処分の内容は明らかにされず、自己批判の名のもとに問われるはずの刑事責任が免責される。こうした歴史が示しているのは、自らの党派の内部でさえ性暴力という一種の暴力を行使し、団結と自己批判による更生と称して、被害者を沈黙させてきたことである。中核派系全学連(全日本学生自治会総連合)のフェミサイドに反対する取り組みのように、フェミニズム的取り組みを行ったとしても、こうした負の歴史に向き合わなければ、性暴力こそ組織の実態ではないかという誹りを免れないだろう。
社会運動内のメンバー内の等価な連帯と団結すら不可能であるなら、マジョリティとマイノリティの団結など無謀な試みに過ぎない。労働者階級による革命を謳いながら、党派内の女性や性的マイノリティなどを蔑ろにするなら、それは労働者階級の男性、それも典型的なカテゴリーと規範にあてはまる男性のみによる革命を意味している。こうした党派の中にも女性が一定数存在するとはいえ、実践的には男性中心主義な組織であり、理論的には民族や出自に由来する差別には自覚的だったが、ジェンダー、セクシュアリティには無頓着だったことを示唆している。もちろん、実際には一部に過ぎない労働者階級の男性を絶対視する見方は、日本人や非・被差別部落出身であることなど、マジョリティの属性であることを前提にしており、民族差別や部落差別も完全に克服していたとも言えないだろう。
こうした理論上・実践上の諸問題は、個別の差別問題に取り組むことによって解消されるとは考えられない。なぜなら、問題は労働者階級の同質性の名の下に、差異を抑圧し、その結果としてマジョリティの専横を許してきたことにあるからである。それは、労働者階級が革命主体であるという本質主義の表れでもある。同質性どころか、党派内部にすら無数に存在する境界に目を向けなければ、労働者階級全体が団結することなど不可能である。それどころか、かれらが求めてやまない団結を破壊するものでもある。現に、性暴力とその隠蔽は、新左翼党派に期待する人々を失望させているだろう。ここに、七・七告発の限界を改めて認めなければならない。
V まとめ
本稿は、本質主義と七・七告発を主題に、左派におけるマイノリティや差別に関する問題を論じてきた。ただし、問題意識は、左派への絶望感を組織することにあるのではなく、これまでの左派を越えたオルタナティブを構想することにある。問題を多く含んでいるにせよ、こうした負の歴史ともいえる過去を切り捨てて、新しさだけを強調するのは、同じ過ちを繰り返すだけであると考える。現在、選択的夫婦別姓や同性婚、「LGBT平等法」といったジェンダーやセクシュアリティに関する議論が、政治論争の争点として取り上げられ、これらに賛成するものはリベラルや左派とみなされることがある。加えて、現在の保守的な政治状況の中でやむを得ないことではあるが、婚姻制度へのラディカルな批判や「包摂」に対する危機感は共有されず、体制変革のリアリティも失効している。だからこそ、過去の左派の理論と実践を批判的に捉え返し、現在の運動と接続させ、さらに発展させていくことで、差別や権力関係に自覚的でありながら全面的な変革を用意できるような運動を構想する必要がある。七・七告発は、そのための一つの契機として現在でも捉えなおす価値があることも再度、強調しておきたい。
本文中では、新左翼党派を中心に左派に関する言説や事実に関する引用を行ったが、これらは仮想の敵を設定した議論(いわゆる「藁人形論法」)に陥らずに、論拠を示すためのものであり、中傷は本意ではない。本稿で指摘したような問題と限界を含んでいるにせよ、かれらが関わる労働運動や社会運動が、社会のなかで一定の役割を果たしていることまで否定されるべきではない。
本稿が、社会運動の発展と、すべての人々にとって過ごしやすい世界を構築するための一助となれば幸いである。
VI 参考文献
エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフ『民主主義の革命 ヘゲモニーとポスト・マルクス主義』(筑摩書房、2012年)
週刊『前進』「3・8国際婦人デー行動へ 差別・抑圧からの解放をかけ女性が改憲・戦争阻む先頭に」2020年2月17日付、 第3108号
<http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2020/02/f31080401.html>(2021年10月30日閲覧)
週刊『前進』「2007年7月テーゼ 労働者階級自己解放と差別・抑圧からの解放
階級的労働運動路線のもと7・7思想の革命的再確立を」2007年8月6日付、第2306号
<http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no07/f2306.htm#a10_1>(2021年10月30日閲覧)
絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な 「1968年の革命」史論』 (筑摩書房、2018年)
水谷保孝、岸宏一『革共同政治局の敗北1975~2014 あるいは中核派の崩壊』(白順社、2015年)
友常勉『夢と爆弾 サバルタンの表現と闘争』(航思社、2019年)
本多延嘉「一 偉大な勝利の道」(本多延嘉著作選第5巻所収)(『前進』615号、1973年1月1日付に掲載された本文が革共同再建協議会のWebサイトで公開されており、引用はこれによる。)< http://miraikakukyodo.jp/h.tyosakusen/no5011.html>(2021年10月30日閲覧)
VII 謝辞
本稿は、Intercollege Leftists Conference(2021年8月24・25日)から大いにインスピレーションを得た。関係諸氏に感謝を申し上げる。