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【雑記】阪神淡路大震災から30年目。当時中学生の私が振返って想うこと。
こんにちは。
40代独身サラリーマンの学割です!
本日、1月17日です。
阪神・淡路大震災から、丸30年を迎えました。
私は神戸で生まれ育ちましたので、
震災当時は中学生でした。
当時の記憶は覚えているのですが、
私の住んでいるエリアは幸いにも家屋の倒壊や道路の陥没など、
大きな被害はなかったように思います。
被害としては、半日ぐらいの停電と、
断水は1週間ほど続いていたので、
貯水していた小学校に何度も水を汲みにいきました。
当時の中学生だった私は、
友だちと学年の皆勤賞を競っていたので、
震災当日に、断水でお弁当を作れないので、
お弁当を持たずに通学したことを覚えています
(状況理解が悪いですね…)。
学校の管理人さんから、登校後にすぐに自宅に帰るように促されました。
自宅に帰ってからTVから流れてくるニュースの神戸の街をみて、
たいへん驚いたことを覚えています。
買い物によく行っていた三ノ宮や元町も、
見慣れた景色が大きく変わっていました。
こんなことが現実の世の中で、起きるのかという気持ちでした。
結局、それから中学校は3週間ほど休校したのを覚えています。
私は、東京に転勤していた頃には、
2011年の東日本大震災でも被害を受けました。
震災があった時間は車で千葉に外勤をしていて、
帰宅できない人たちをピックアップしたまま、
会社のある東京に10時間以上かけて戻りました。
交通網はストップしていたため、
深夜に徒歩で自宅まで戻ったことを覚えています。
大きな震災を2つ経験して想うことは、
自然災害の脅威と、生きていられることへの感謝です。
自然災害は、人間の想像を超えるほど脅威・怖さがあり、
そしてその被害範囲は予測できるようなものでありません。
いくら対策をしていようがリスクを軽減に繋がるだけで、
自然の前に人間は成すすべがないように思います。
そして自然災害というのは、人間の哀しみを生み出すものだと感じました。
そして、やはり自然災害によって命を失った人が多くいます。
自分が命を失う危険が迫っていると感じた人はいないと思います。
突然に命を奪われることで家族や友達にも、
後悔できない、やりようもない気持ちが生まれます。
幸いに2つの震災を受けて、自分は生きていますが…
それは運が良かったということでは、かたづけられないと思っています。
同じ自然災害を受けて生死を分けて、
自分がいま生きていることへの感謝と、
次の日を迎えて、当たり前のような日常を過ごせていることに
改めてもっと1日1日を大切にしたいという気持ちになりました。
神戸に生まれて育った私も、被災者です。
この被災経験を生かして、
これからも大切な1日1日に感謝したいと思います。
今年で30年目を迎える阪神・淡路大震災で、
亡くなった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。