遠野について
今日、嫁がインドネシアから帰ってくる。
ひとり暮らしをしていたこの3週間で驚くほど早起きになってしまった。5時には起き、5時30分には仕事を始めている。なんだろうこれは。あれほど否定していた朝型。なったらなったでいいもんだ。
さて、最近、観光について考える機会が多い。
7月に実施した『遠野物語』フィールドワークはとても学びが多く、あれから隔週でメンバーで集まりながらプロジェクト名、コンセプト、方向性、実施内容、資金調達などのプランニングを進めつつ、地元や東北での人脈づくり、視察に動き出している。
アイディアを実現しないワークショップには何の意味もないと自戒も込めて思っているので、粛々と続けている。続けることが大事。嬉しいことに、フィールドワークに参加してくれたメンバーの力も借りながら動けているのがいい。同じベクトル・思いを持ってくれている。
このプロジェクトは、「学びに重きを置いた観光事業」になると思う。『遠野物語』という地域資源を、これまでの様な浅い観光に使うのではなく、知的欲求を掻き立てる装置として使いたい。
電気さえまだ通っていなかった100年前の遠野。そこに確実に息づいていた生活や信仰は現代我々が忘れていたものを呼び醒まし、そこに新しい気づきや学び、自分を省みるきっかけをもたらしてくれる。
当時官僚だった著者・柳田國男に「これを語りて平地人を戦慄せしめよ」とまで言わしめたものは何なのか。
彼が戦慄したものを読み解き、分解し、時代に合わせて編集・構築し、具体策に落とし込む。それが次の世代を生きる僕らの役割だと思っている。初版350部にもかかわらず100年経った今でもこうして読まれている本があるのは、間違いなく遠野の財産。
遠野ではすでに30年前から『遠野物語』を中心とした同様の活動は行われてきた(奇しくも遠野常民大学が設立された1987年は自分が生まれた年だ)。大橋進先生はもちろん、小井口有さん、菊池新一さん、千葉なごみさんなど、アカデミックな方、研究者の方、事業者の方、土地の声に耳を傾けてこられた方など色々な人に話を聞くと、いま自分たちが持っている課題感と全く同じ考えを持っていることに驚く。ここ数ヶ月地元の色々な方の話を聞き、改めて向いている方向性は間違ってないと感じている。
遠野は、自然もいい、食べ物も美味しい、人もいい。
ただし、それをそのままストレートに伝えても、人が来る理由にはならない。なぜなら関東近辺の長野も山梨も群馬もそうだから。それだけで、わざわざ遠野には来ない。
わざわざ遠野に来る理由。わざわざ高いお金を払って時間をかけて遠野に来てまで体験したいこと、感じたいこと。それが何なのか考えて、実行する必要がある。
最近、サッカー日本代表がオーストラリア戦に勝ってW杯出場を決めた。ハリルホジッチさんは相手を研究しつくし、敵に合わせた柔軟で大胆な策を取った。ザックJAPANのような「自分たちのサッカー」にこだわった日本代表はそこにはなかった。W杯では日本は弱小国だから、そこに標準を合わせて守備から入るカウンターサッカーをしているそうだ。
相手を考えず自分たちのサッカーをするのか、弱者ゆえの相手を研究した戦い方を取るのか。
住む期間が長くなるに連れてだんだん忘れてくるが、遠野は間違いなく後者だ。遠野を中心でものを考えるのではなく、人口28000人の遠野にある資源を見つめ直し、いま遠野に何を求められているのか探り、弱者ゆえの武器を尖らせた戦略を取らないといけない。
僕は、その中心が、やはり『遠野物語』に描かれた民話、暮らしだと思う。100年前に思いを馳せ、日本人の根底にあった(厳しい)暮らし、習わし、信仰、価値観に触れ、非日常感を感じ、平地人である自分を省みること。大げさかもしれないが、日本人が日本人であることを確かめるような体験が、遠野には求められているんだと思う。それでこそ、わざわざ行く理由がある。同時にそれは海外から見ても、とても魅力的だと思う。
◎背景をもう少し補足すると、厳しい寒さで生きるのが大変な環境であった故に口べらしや姥捨(伝説)などが起き、それが口頭伝承によって語り継がれて物語になった(逆に厳しい環境だった故に、物語をつくり非日常に「逃げ場」を見出していたのかもしれない。物語論はもう少し深堀したい)。
そして遠野は交通の要所だったゆえに人が交わることでそれが拡散して、人(の記憶)に物語が保存されていった。そして、城下町だった故に、そういったものを大事にしようとする民度が担保されていた。それらが『遠野物語』の生育環境には必須条件だったようだ。この辺をもう少しきちんと伝えていければ、さらに差別化できるはず。
残念ながら、今の遠野はそれが徹底されていない。足元に素晴らしい資源があるにも関わらず、遠野じゃない何かになろうとしている気がしてならない。ちぐはぐ。
僕たちも手探りではあるけれど、今後何十年先の遠野の未来像を視野に入れながら、この遠野の武器になるコアの部分を徹底的に固めること。そして、それを時代に合わせた魅力的な見せ方、アイディア、仕組みで構築していくこと。
そして、文化、教育、産業などの各プレーヤーのハブの組織になること。進むべき道はここだと思う。
今後、土台を固めつつも、自分たちだけやってても仕方ないので、ここに関わってくれる人を遠野内外で集めていきたい。色々な人と一緒にやりたい。
大きな組織にするつもりはないけど、強いインナーマッスルを持った意志とパッションのあるプロジェクトにしていく。
ここまで書いて思ったが、その弱者ゆえの武器が、たとえば欧米が主流のビール業界での「国産ホップ」、アルコール好きでもあまり馴染みのない「どぶろく」、くらしに紐付いてきた「手仕事」などになるのだろう。徹底して、遠野じゃないとできない発信の仕方を磨く。これができれば、人が来る理由になる。
朝からババッと書いてしまいましたが、遠野は本当に面白い。来てよかった。引き続き、地道に考え実践して行こうと思います。
遠野物語のプロジェクトについてはこの秋には発表できると思います。
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