振り返れば川にいる
今日も川にいますわ。
まだ、チケットの詳細などは出ていないんですが、7/28(水)の19時から、金属バット友保、デルマパンゲ迫田と、オンライン川飲みトークライブをやる予定です。コソッとスケジュールに書き込んでおいてください。
『緊急事態宣言』が『まん延防止措置』に切り替わったので、お酒を飲めるお店が、少しずつ帰ってきております。しかし、20時までですから、2軒目は川、そして、家に帰っても飲み直してしまいます。そして、飲みすぎてしまい、人恋しくなり、インスタライブに手を出してしまうわけです。
連日連夜、夜中にお邪魔してすいません。たぶん、今夜もお邪魔します。
昨夜の模様です。
クロスバー直撃の渡邊さんです。
自分から始めたライブは、見られなかった方に向けて、アーカイブを残しております。
7分25秒から5分ほどが見所と思われます。残りの120分以上は、まったく見なくていいです。いや、見ない方がいいです。シンプルに『終わっている』ので。
僕のためにも、ナベさんのためにも、近々消去するので、よろしければ今のうちにご覧ください。
最近、哲学のことをよく考えています。
ごめんなさい。賢いふりをしてしまいました。僕もちゃんと理解できているわけではないので、ふんわりと考えているだけです。
僕の中の理解では、『哲学』というのは、『当たり前のこと』を鵜呑みにせず、疑うことです。『当たり前のこと』を疑わず、そのまま信じることを『宗教』と呼びます。全然違うかもしれません。あくまで、僕の理解です。
その中でも、ドイツの哲学者『カント』がおもしろいと思っていて、カントは『批判』という手法で哲学をされました。
批判と聞くと、相手の弱点をついたり、間違っている部分を指摘して正す、みたいなイメージがあると思いますが、そうではなくて『じっくりと考え直す』ということです。
カント以前の哲学は、
「神様はそんざいするのか!?」
とか
「宇宙の終わりとはなんなのか!?」
みたいな、知ることが出来ないものを考える学問でした。しかし、カントはこう言います。
「そんなんわかるわけないやん!」
もう好きになっちゃいますね。
なぜ、こんなに言い切れたかというと、人間は、自分が五感で感じたこと以外『知る』ということができないから、『知れない』ことを考えても、答えなんか出るわけないと、カントは思ったんです。
これのいいところは、たとえば神とか宇宙とか、『知れないもの』を、否定も肯定もしていないところです。わからないと言っているんです。わからないものを学問で深く掘り下げても、答えなんか出ないよと言っているわけです。
なのでカントは、人間の認識の『外』のことは放っておいて、認識の『内』に目を向けます。すると、ひとつの物事において、人間が取る行動は、人それぞれなので、人間の行動には『意思』が伴っていると考えます。
その『意思』は、五感で認識できるものではないので、カント的には、
「考えてもわからんに決まってるやん!」
なんですが、それなりにみんなが同じような行動を取っているので、
「なるほど、これが『理性』ってやつか!」
ってことで、理性について考えるようになり、出した答えが、
「みんながそれをやっちゃったら、世の中がヤベェことになると思うことは、自分はするなよ!」
です。非常にわかりやすいですね。
今では当たり前に感じる考えですが、カント以前は、『理性』というものを、ぼんやりとしか考えていなかったので、カントがしっかりめに考えてくれた結果、その後の教育や、学問の方向性が決まっていったといわれています。
そんな、当たり前の『理性』ですが、世の中を見ていると、当たり前ではなくってきている気もします。
なにが『当たり前』かをじっくり考え、改めて『哲学』しないといけない時期が来たのかもしれません。
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