まぐわいの儀式
夫婦となり、国をお生みになることを決められた伊邪那岐神(イザナキノカミ)と伊邪那美神(イザナミノカミ)は、ある儀式をしてから、美斗能麻具波比(みとのまぐわい=「みと」は寝所「まぐわい」は夫婦の交わり)をあそばされることにされました。
建てたばかりの天之御柱(あめのみはしら)を、めいめい右と左から巡り合い、出会ったところで声を掛け合い、それから寝所に入ることにしたのです。
この柱をまわる儀式は、作物の出来がいいことを願う意味があるそうですが、個人的には神様もいざベッドインとなると恥ずかしいので、初対面感とサプライズ感を演出されたのだと思っております。
伊邪那岐神は左から、伊邪那美神は右から天之御柱をまわり、出会ったところで伊邪那美神が
「ちょっとまって、めっちゃイケメン!男前!好き!」
続けて伊邪那岐神が、
「こんなべっぴんさんにそんなん言われたら、めっちゃテンション上がるって!」
と、お互いを称え合われました。しかし、それぞれが言い終わった後で、伊邪那岐神が妻に
「女子のほうから先に声かけてきて、逆ナンみたいな感じになったのは良くなかったと思うなぁ。」
とおっしゃりましたが、伊邪那美神は聞こえないフリをなさり、そのまま二柱の神は寝室に入り、まぐわいをなさいました。
しかし、生まれてきたのは骨のない蛭(ひる)のような水蛭子(ひるこ)だったのです。二柱の神は大変お悲しみになり、その子を葦(あし)の船で海にお流しになりました。ところが、次に生まれたのも淡島(あわしま)といって、泡のように不完全な島だったのです。どちらも自分たちの子の数には入れませんでした。
(なんでなんや。。)
悩んだ二柱の神は高天原(たかまのはら)の天つ神(あまつかみ)に相談します。最初に天之御柱(あめのみはしら=アンテナ)を建てといたので連絡はスムーズです。天つ神の命令に従って太占(ふとまに)という占いで占ったところ、女神から先に声をかけたことが原因だったことがわかりました。伊邪那岐神は、
「ほらぁ!やっぱり俺の言うたとおりやん!」
と思いましたが、これを口にしたら大ゲンカになることは目に見えていたので口にはされませんでした。
さっそく二柱の神はもう一度儀式をしました。天之御柱を回って、今度は伊邪那岐神のほうから、
「え?こんな美人ありえる?タイプすぎるって!信じられへん!」
続けて伊邪那美神が
「みんなに言ってるやろ?ホンマに思ってる?っていうか、自分もめちゃくちゃイケメンやで?」
と仰せになり、再び寝室でまぐわいました。そうすると、次々と立派な島々が生まれました。
次回、国生み、そして神生みへ
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古事記は歴史書でありながら、その当時の人々の日常や考え方を垣間見ることができます。
たとえば伊邪那岐神が「女子のほうから先に声かけてきて、逆ナンみたいな感じになったのは良くなかったと思うなぁ。」というところですが、本文は「女人(をみな)まづ言へるは不良(さがな)し」となっていて「女が先に言ったのは良くない」という意味です。その不祥事に対して、罰さえ与えられています。
古来の日本において、結婚は男から申し込み、女の承諾を受けて成立するものという考えが非常に強かったのでしょう。古事記に書き込むくらいですからね。
現代では女性が男性に声をかける『逆ナン』というものがありますが、むしろ「逆ナンされたい!」というのは、今や男の夢の一つであります。なんなら男友達が逆ナンされたなんて話を聞こうものなら「なんやねんあいつ!バチあたれ!」と思ってしまうほどです。古事記の時代とはだいぶ変わったということですね。
そして、二柱の神が最初にお生みになる子を、水蛭子と淡島としたのにも理由があると思っています。当時は今よりも出産が大変な時代で、遺跡からは大変な数の胎児や生後一年未満の乳幼児のお墓が出てくるそうです。
一般庶民と同じ悲しみを神様も背負うことで、その悲しみを少しでも軽くしてあげたいという優しさなのではないかと思っています。