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【3.11 特別企画】東北の若者と対談 vol.01

3月11日で東日本大震災発生から11年を迎えます。私たちは、当時震災を経験した同世代の大学生にインタビューを行い、それをまとめることにしました。
小学生の頃震災を経験した彼ら・彼女らの、ありのままの当時の想いやこれからの想いを感じ取っていただければ幸いです。
災害リスクの大きい静岡で防災活動を行っている私たちとしても、実際に被災した方との対話を通じて、今後の活動に繋げる必要があると実感しました。

『静岡大学学生防災ネットワーク』は、静岡市の学生を中心とした学生防災団体です。「メンバー個人の防災力向上」「習得知識の地域への波及」の2つを目標として活動しています。
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今回インタビューに協力してくれた人

  • Kさん・大学3年生(男性)

  • 震災当時いた場所:小学校の教室

  • 現在いる場所:神奈川県

  • 大学で学んでいること:化学


地震発生時のこと

 地震が発生したのは、小学校5年生の時、教室で算数のテストを受けているときでした。すぐに机の下に潜り、机の脚を持って揺れに耐えました。このような行動を瞬時にとれたのは、前から「宮城県沖地震が来る」と言われており、日頃から防災教育を受けていたからだと思います。心の準備もできており、自分自身はかなり冷静でした。縦か横か、どちらに揺れているかわからないほどに激しい地震でした。また,地盤沈下が発生し、地面が落ちていったことも覚えています。そのあと、先生達の声かけで校庭まで避難しました。
インタビューより

何を感じたか?
 「地面が落ちていった」というリアルな感想が、地震の大きさを物語っているように感じます。すぐに机の下に潜るなど、適切な行動を取ることができたのは、やはり防災教育が徹底されていたおかげのようです。私たちが住む静岡県でも南海トラフ巨大地震が発生するといわれており、私が通っていた小中学校では、避難訓練を月に2回実施していました。当時は「本当に来るのか」「役に立つのか」と半信半疑でしたが、こうして実際に役立った体験談を聞くことで、その重要性を再確認することができました。
 また、「避難の呼びかけは放送ではなく先生達の声かけだった」というところから、放送機器が使えなかったことが予想されます。現在多くの学校では、校内放送を使用した避難訓練を行っていると思いますが、地震発生時をよりリアルに再現した訓練も必要なのではないかと考えました。



避難生活のこと

 父は出張中で北海道にいたため、母が学校に迎えに来て帰宅しました。しかし、地震の影響で自宅の中に入れる状況ではなかったため、非常用持出袋や最低限のものを持って市民センターに、その後学校の体育館へ避難しました。
 体育館では一晩過ごしましたが、毛布は高齢者と幼児がいる家庭にしか配布されませんでした。夕食がなかったことが一番辛かったです。夜中に自衛隊が食料を持ってきてくれたようで、翌朝配布されていました。それを受け取ってから、自宅に帰って片付けをし、公共施設に友達と集まって過ごしました。被害が少ない友達の家に泊まることもありました。電気は翌日の昼頃には復旧しましたが、水道とガスはしばらく復旧しませんでした。水は学校で配給があり、調理はガスボンベとガスコンロでしました。自宅にはガスコンロがなかったため、友達の家のものを借りました。近所付き合いがあったからこそ、避難生活を乗り切れたと思います。
インタビューより

何を感じたか?
 父親が不在という精神的な負担が大きい中でも周囲と協力し、励まし合いながら生活していたことが容易に想像できます。一般的に、公助だけでは限界があり、自助・共助が大切であると言われています。久保田さんの体験談では、特に共助の大切さについて知ることができました。自宅が大きな損害を受け、避難先でも十分な物資がないという状況でも、友人や近隣住民と助け合うこと、これが生き抜くための鍵であったと感じます。助け合いが必要な場面は数多く、災害発生直後の救助活動に始まり、その後の避難生活に至るまでの、全ての過程で重要な要素であり続けるということがひしひしと伝わってきました。



その後の生活のこと

 原発事故が発生したため、仙台から移動する必要がありました。震災から4〜5日目に父が帰ってきて,山形、新潟へ行きました。ここで一泊して東京へ行き、その後母の実家がある宮崎へ行きました。ゴールデンウィークまで祖母の家で過ごし、学校が再開してからまた仙台に戻りました。
 小学校6年生のとき、震災をお題に詩を書きました。最後の行は、改めてすごい震災だと感じたことを表しています。
インタビューより


Kさんが書いた詩



何を感じたか?
 地震が発生してから様々なところを飛び回っている様子を知ることができました。休息の時間も十分にとれていないのに、度重なる長距離移動はかなり大変だったと思います。
 6年生で書かれた詩には、徐々に揺れが大きくなる様子、建物が崩壊する様子、人が亡くなる様子など、様々な風景が簡潔に示されています。しかし、その簡潔さとは相反して、久保田さんが感じた恐怖、震災がもたらした被害の甚大さを、リアリティをもって私たちに伝えてくれます。「震度100」というありえない数値が非常に生々しく、震災はこんなにも簡単に全てを壊し、奪っていくのだということを知ることができました。


私たちが考えたこと・これからの行動につなげなければならないと感じたこと

「事前の備え」「共助」

 久保田さんのお話から、「事前の備え」と「共助」の重要性を改めて理解することができました。事前の備えには、物的なもの(非常用持出袋など)だけでなく、避難訓練や防災教育などの知識・行動面での備えも含まれます。まずは自分の安全を確保すること、そのためには震災発生時の正しい対応を知り、落ち着いて行動することが求められます。やはり日頃から災害を意識し、訓練等でも手を抜かず、いざというときの行動を身体に覚えさせることが大切なのではないでしょうか。
 また、その後の避難生活では、周囲の人々と助け合いながら生き抜くことが必要になってきます。ただでさえ肉体的にも精神的にも疲労が蓄積している中、1人で生活していくことはほぼ不可能です。誰かと関わることでしか癒やせない傷もあります。日頃から近隣の方と積極的にコミュニケーションをとり、いざというとき協力し合えるような関係性を構築していこうと思います。
 加えて、非常用持出袋の中身を定期的に確認し、使える道具をそろえておくことが必要です。非常食などは、ローリングストック *1によって管理を行い、常に新しい非常食を備蓄しておくように意識していきたいと思います。

*1:必要量の備蓄を用意し,定期的に消費しながら買い足して管理する方法。主に食料品や日用品等の備蓄に用いられ,「使いながら備える」ことで常に新しい非常食を備蓄することができる。

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