文字を書く修行について
文章を毎日毎日書いても
作文能力は上がりません。
でも書かなければ、自分に作文能力がないことにも気づけません。
どうも、がくさいです。
なんだか、毎日とりあえずのnoteを書いています。
これは自分にとっては嬉しいことです。
文字を並べて文章を作ることを
私はとても遠ざけてきたのですが、なんだかこのタイミングで、
毎日作文をする時間が持てていて、なんだか嬉しいです。
自分に素直になれた気がするからです。
本当は書けなくても書きたかったんです。
書いたら読んでほしかったんです。
こういう気持ちを抑え込んでいたので、
自分の作文能力の低さと
文章を書きたいな、共感してほしいな
という気持ちを
セットにして遠ざけていたのです。
現実と理想をセットに遠ざけて
これは自分の世界ではない
作文なんて私がやる必要なんてない
文章なんてこの世に腐るほどあるんだから
文章の書けない私がやる必要なんてないと思ってました
でも16日連続で書いて気づきました、
16日連続で書いたぞ と、
私の中のたくさんの仮説のひとつに
ヒトは絶対に頑張っているんだ理論
という、見るからに不完全そうな理論があります。
内容は、そのままですが一応説明すると、
「本当はこうしたい、けどできない」ねむねむ
「やせたいけど、やせれない」もぐもぐ
といった、世の中の一見怠けに見える言動は
その言動も込みでその人が生きていく上でとっている
戦略、処世術、バランスなのかなと思っていて
こういった言動は「じゃあやれ」とか
「じゃあ痩せろ」と言われて即死するものですが
実は本人には意味があって、
そこで何かバランスを取っているんだ
という私の理論です。
見た目には頑張っていないように見えるけど
それがその人の心が保たれるバランスなんだ。
という理論です。もしかしたら仮説と呼んだ方がいいかもしれません。
だから、頑張っているんだな。
よしよしと言いたいのではなく。
その人が実際に行動を起こしたとき
本人にとって何か大きなダメージを追うことが考えられるので
そこを手助けすることで、
なんかその人ももうちょっと頑張れるんじゃないか
という仮説です。
まぁ、話をして助け合っていったらいいんじゃないか
ということを長々と書いてしまっただけなのかもしれません。
今の私にとってはこれが修行なんだと期待して
明日もながながと文を書こうと思っています。
おわり
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