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「エビングハウスの忘却曲線」を正しく理解【割合は参考外だけど意味はある】
「授業内容は1日で74%も忘れる、だから復習しよう」は誤解です。しかし「このグラフは"節約率"を示すもので忘却とは無関係」も言い過ぎです。
エビングハウスの忘却曲線。復習の重要性を示すのに教育関係者がしばしば使います。以下のグラフが典型的なものです。本記事では、安易な利用でも極端な批判でもなく、意味を正しく理解することを目指します。
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1.基本情報:エビングハウスについて
「エビングハウスの忘却曲線」はドイツの心理学者エビングハウス(Hermann Ebbinghaus 1850-1909)の実験結果に由来します。この実験は1885年出版『記憶について : 実験心理学への貢献』に記されています(文献①:和訳は1978年に出版)。以下、実験内容についてはこの文献に基づきます。とても古く素朴な実験ですが、記憶についての基本的な考え方は現在にも通じます。
エビングハウスは心理学を哲学から独立させ科学として発展させることに貢献した人物です。日本でも大正時代から著作の和訳が出版されています。以下はエビングハウスが心理学史をまとめた本の冒頭の一節で、人の心理については長く探究されてきたけど、科学としての心理学の歴史は短いことを示しています。
心理学は長い過去を有する。然し其の歴史は短い。
(原著:Die Psychologie hat eine lange Vergangenheit, doch nur eine kurze Geschichte.)
2:学習内容で覚えやすさ・忘れにくさは違う:実験は"無意味な文字列"
曲線の元になった実験は、無意味な文字列(※1)を覚えるという内容です。アルファベット(※2)の子音-母音-子音で構成されたものを1音節(nir,jal 等)として、13音節×8系列や16音節×6系列といった長さの文字列を音読・暗唱して覚えるまでの時間を測定しました。滞りなく全体を暗唱できたら"覚えた"として、1時間後や1日後など所定の間隔を開けて、再度覚えるまでの時間を測定しました。
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つまり、この実験結果は"無意味な文字列"を覚えた時のものです。当然、覚えやすさ・忘れにくさは何を学習するかによって大きく異なります。実際『記憶について』でも、「有意味」な対象として英語詩を覚える実験もしており、同等の文字数を覚えるのに「無意味」と比べて1/10の時間で済んだことが記されています(文献① p.54)。
無意味な文字列と学校の授業内容では記憶の残りやすさが全く違います。また一口に授業と言っても、教科の違いなど様々な要因で記憶の残りやすさは変わります。ですから、「エビングハウスの忘却曲線」から「授業内容は1日後に74%も忘れる」と単純にいうのは、学習対象の違いを考慮しておらず誤りと言えます。
3.節約率という指標:何をもって・どの程度"忘れた"とするのかは難しい
曲線で示される割合は、節約(saving)の割合で「節約率」と呼ばれます(※3)。なじみがない言葉ですが、節約率とは「最初覚えるのにかかった時間と比べて、何%少ない時間で再び覚えられたか」を指します(※4)。計算上は"短縮率"と呼んだ方がわかりやすいです。実験過程で、最初覚えた時も、時間を開けた時も覚えるまでの時間を測定していたのは、時間を比較するためです。
例)初学習時10分、一日後再学習時7分で覚えた→学習時間を10-7=3分節約
節約率=節約した3分/元々かかった10分=0.3(30%)
つまり、節約率30%と”暗記した100問中30問覚えている”ことは大きく違います。では、曲線に1時間後に"44%覚えている”・"56%忘れる"と書いてあるのは間違いなのかと言われると、そうではありません。
この実験では「忘却率(量)=100%-節約率」で示されています(同 p.82)。節約率が44%なら忘却率は56%となります。節約率で忘却を示せることを理解するには、節約率0%を考えるとわかりやすいです。節約率0%、つまり初見と同じ学習時間がかかってしまう状態は、学習を全て忘却して(=忘却率100%になり)初見と同じ状態になったと捉えられます。
しかし、なぜ記憶の忘却という現象を調べるのに、”1日後に暗記した100問中30問答えられる"といった正答率を用いず、節約率という一見回りくどい指標を用いているのでしょうか。
これは誤答=忘却と単純に言えないからです。例えば、この曲線の名前を答える問題に「ビエングハウスの忘却曲線」と回答した時、空欄だった時と完全に同じ忘却と言えるでしょうか。頭の中で関連付けに失敗しているにせよ、完全に忘れたわけではなく、何らかの記憶は持っています。しかし「覚えている」とも言い難いです。何をもって、どの程度「忘れた」とみなすかは、実は難しい問題なのです。
エビングハウスも記憶の「保持と忘却」の説明は難しく直接観察できないものであると記した上で、測定可能な指標として「原学習と再学習に要した時間を比較」(同 p.70)することを選びました。
よって、忘却曲線に「56%忘れる"と示してあるのは、エビングハウスの実験の説明としては間違ってはいません。しかし、忘却率56%と”暗記した1時間後に100問中56問不正解になる"こととは大きく意味が異なります。もっとも、先ほど述べたように学習対象で大きく異なるので、そもそも割合に実用的な意味はありません。
4.広まった曲線:あくまで記憶や忘却を理解する概念図
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「エビングハウスの忘却曲線」という命名は後世のものです。『記憶について』には曲線の図は記されていませんが、元になった数式が記されています。以下がその数式とグラフ化したもので、縦軸:b=節約率、横軸:t=時間(分)です。
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よく使われる曲線では時間軸が簡略化されていますが、実際のグラフの変化は緩やかです。1時間後と1日後の節約率の比較を、時間軸のスケールを保ったまま示すと以下の通りです。
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この数式は"法則"として示されたものではありません。ただ、被験者エビングハウス自身1人の実験によってでも、20分から31日という時間間隔ある7地点を、単純な数式で近似的に示せることは注目に値すると記しています(同 p.84)。なお、後年の検証で、同じ条件で実験すると似た結果が得られることが示されています(文献③等)。
また『記憶について』では、毎日(24時間ごと)の反復学習の効果も検証され、日に日に初回と比べた節約率が高まることなどが記されています。そうした成果も踏まえてか、1つの曲線だけでなく何度も復習することを含めた複数の線が「エビングハウスの忘却曲線」として示されることもあります。以下の通り、学術論文にも「エビングハウスの忘却曲線」としてそうした図が掲載されています(文献④)。
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以上、元になった書籍を中心に曲線の意味を見ていきました。実験で覚えたのはあくまで無意味な文字列であり、忘却率の割合は日々の学習に当てはめることはできません。この曲線からは最適な復習のタイミングも言えません。覚えやすさ・忘れにくさには、内容の違いはもちろん、元々の知識量や学習方法など様々な要因が関わり単純ではありません。
曲線が示しているのは、人は覚えたことを徐々に忘れるというありふれた話です。ただ、記憶・忘却に関わる基本的な考え方が19世紀の実験で示されて現代にも通ずる所があるというのは、科学史という面でも興味深いです。表面的に数値だけ見て安易に用いるのではなく、数値はどんな実験から出したかなど背景を含めて理解することで、初めて有意義なものになると思います。
【注釈】
※1 語呂合わせなど、無意味な音節に無理やり意味を持たせる覚え方はしなかったと述べられている(文献① p.26)。
※2 "ä"などウムラウト付きを含む。詳細は文献①p.23を参照。
※3 『記憶について』では「節約率」という表記はなく「節約量」(saving amount)などと表現される(文献①、忘却率も同様)。しかし、日本でのエビングハウスについての解説では、相良(1950)や入谷・林(1967)など古くから「節約率」と表現される(文献⑤・⑥)。
※4『記憶について』では時間の他に、学習した(読んだ)回数を用いた実験もあるが、曲線の元になった数式を出した実験では時間を用いている。
【参考文献】
①宇津木保 訳・望月衛 閲『記憶について : 実験心理学への貢献』誠信書房、1978年(原著:Hermann Ebbinghaus ”Über das Gedächtnis: Untersuchungen zur experimentellen Psychologie” Duncker & Humblot, 1885、英訳:"Memory; a contribution to experimental psychology" Translated by Henry A.Ruger & Clara E. Bussenius ,Teachers college, Columbia university, 1913)
②高橋穣 訳『心理学』富山房、1912年(原著:Hermann Ebbinghaus "Abriss der Psychologie" Veit & Comp, 1908)
③Murre, Jaap MJ, & Joeri Dros."Replication and analysis of Ebbinghaus’ forgetting curve." PloS one 10(7), e0120644, 2015
④B. A. Chun & H. J. Heo ”The effect of flipped learning on academic performance as an innovative method for overcoming ebbinghaus’ forgetting curve" ICIET'18: Proceedings of the 6th International Conference on Information and Education Technology, pp.56-60, 2018
⑤相良守次『記憶とは何か』岩波書店、1950年
⑥入谷敏男・林貞子『心理学入門』東海大学出版会、1967年
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