展覧会図録のタイムトラベル〜過去・現在・未来〜
いやー、昨日はですね、電子レンジを使おうとしたら、いきなり謎のエラーコードを表示して固まってしまい、コードを抜き差ししてもう一度使おうとしたら、今度は青い火花がバチッと飛んで(焦った)その後うんともすんとも言わなくなる、という出来事がありました。
取扱説明書を読んでも「このエラーコードが出たら購入店に修理を依頼してね」としか書いてないし…。まぁ、もう10数年使っているから寿命ですね。
そんなこんなでバタバタしてしまい、1日遅れでの限定記事配信となります。
さて先週は、展覧会図録の今後についての所感を書きました。
その時ふと「あ、今までの図録の変遷もまとめた方がいいかも」と思いました。過去から現在までをながめれば、よりこの先の見通しがつきますからね。
学芸員という職業柄、図録はつねに身近なものでしたし、そもそも学生時代から古本屋で昔の図録を買い漁ってきたので、ざっくりした変遷は説明することができます。
これまでもnoteで図録について触れることは何度かあったので、いくらか重複する部分もありますが、今回はひとつの流れで語ってみようと思います。
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それでは行ってみましょー。
初めはぺらっぺらの冊子だった
はい、そうなんです。
展覧会図録というと大層なものを想像するかもしれませんが、もともとは薄い冊子本がほとんどでした。
こんなやつ(↓)です。
これは、1961年に日本橋高島屋で13日間(たった!)開催された「俵屋宗達展」の図録です。主催は日本経済新聞社。
全ページモノクロで、カラー図版は1点もありません。
琳派つながりでもう一冊。
こちら(↓)は、1965年に日本橋三越と大阪三越で6日間ずつ(たった!2回目)開催された「光琳名品展」の図録です。
図版だけ別の紙を貼り付ける形は、昔の画集などでもよく見かけますね。
これは、カラー図版の部分だけ良い紙を使うためですね。
巻頭の数ページだけこのようなカラー図版が載り、他はやはりモノクロ図版です。
どうして、昭和の図録がこんなにペラペラなのか。
それは著作権問題がからんでいます。ややこしいので、ちょっと説明しますね。
創作物には著作権があり、著作権をもつのは創作者です。創作者の没後70年までは著作権は保護されます。
この著作権保護期間内には、その創作物を著作権者の許可無く、複製することはできません。勝手に印刷物にして販売することはできないわけです。
印刷物に掲載するためには、当然ながら著作権者に申請して許可をもらう必要があるのです。許可にあたり、様々な条件が付けられることもありますし、使用料が求められることもあります。
これらを定めているのが著作権法なのですが、この著作権法の中に次のような文があります。
つまり美術館や博物館が公に行う展覧会の図録であれば、著作権がある作品であっても図版として掲載することができるのです(著作権者の許可は特に必要としない)。
ただし、ポイントは「小冊子」という点ですね。
あくまで小冊子程度の簡易な図録に限り、上記のような例外的扱いが認められていたというわけです(しかし考えてみれば、宗達も光琳も著作権はないですね。事例としてあまり適切でなかったな、と反省)。
これが、小冊子時代の展覧会図録です。
カラー図録の登場
印刷技術の発達により、カラー印刷のコストが下がってくると、当然の流れとして、展覧会図録でもカラー図版の割合が大きくなっていきました。
ページ数も増加していき、著作権法の「小冊子」にあたるか微妙なラインとなってきました。このあたりが一番グレーゾーンの時代ですね。
たとえば、こんなの(↓)です。
1972年に東京国立博物館創立100年を記念して、同館で開催された「琳派」展の図録です。
作品解説も充実していて、ここまで来ると研究用図書としても十分に活用可能な、内容の濃い図録になっています。
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