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「なぜ日本絵画には水平線が無いのか」を考える(その3)
その1、その2(↓)からの続きです。
前回は、西洋絵画における水平線の登場に着目してみました。
「では、日本絵画はどうなんだい」という具合に話を展開しようと考えていたのですが(そうくると思っていた人も多いと思いますが)、「いや待てよ。日本絵画に話を移す前に、中国絵画についても触れておかなければダメじゃない?」と思い直しました。
ご存じの通り、少なくとも近代にいたるまで、日本絵画が常にお手本としていたのは中国絵画です。
だから、中国絵画の実態を押さえておかないと、「なぜ日本絵画には水平線が無いのか?」なんて語っても「それって中国絵画がそうだっただけじゃないの?」という疑問が残りますからね。最終的にそういう結論に到るならそれでもいいんですけど、あやふやなままではせっかく考える意味がありません。
というわけで、あらためて水平線という切り口で中国絵画を見てみると、私自身今まで見えていなかったものが見えてきて、これはこれでなかなか面白いことになりそうです。回り道のようで回り道ではないので、もう少し辛抱しておつき合いください。
では、古いところから時代を追って見ていきましょう。
中国絵画の水平線
そもそも西洋絵画と違って、中国絵画ではかなり早い段階から風景そのものを主題とする絵が登場します。「山水図」と言われるものですね。
そして中国絵画というと、みなさんは水墨画のイメージが強いと思いますが、実は山水図は着色画からスタートしています。
現存する中で最も古い山水図となると、このあたりの作品(↓)になります。見ての通り、青と緑を基調とした彩色が施されています。こうした山水図を「青緑山水」と呼びます。
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こうした最初期の山水図を見ると、高い視点から俯瞰する構図で絵が描かれていることがわかります。これが中国絵画の基本構図です。
さて、水平線はどうでしょうか。画面の上の部分まで山並みが描かれているので、水平線があるとしたらだいぶ高い位置ということになりますが、明確な水平線は描かれていません。
展子虔の《遊春図》は、大きな川が手前から奥へ(もしくは奥から手前へ)と続いているので、それをたどっていけばどこかに水平線が描かれていても不思議では無いのですが、その川は奥にいくと消失し、陸と空の境界はあいまいなままになっています(画像を拡大してご確認ください)。
唐時代半ばから、彩色をあえて施さず、水墨のみで山水を描く試みが始まったと考えられています。ただ水墨山水図が作品として現存しているのは、唐が滅亡した後の五代十国時代以降になります。
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これを見ると、水墨画になっても、俯瞰構図と水平線のあいまいさは変わっていないことがわかります。
ただ、この五代の終わりから次の北宋にかけて活躍した画家李成の作品(↓)には「平遠」と呼ばれる、水平の視点で奥行きを表現する手法が見られます。
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これは、ちょうど画面の上下真ん中あたりに水平線があるのが分かりますね。空と大地の境をはっきり描かないのは変わりませんが。ここまで見てきた山水図とは、だいぶ印象が違うのではないでしょうか。
しかしこの後、平遠構図は単独で用いられることはあまりありませんでした。どういうことかと言うと、複合的に用いられるのです。
北宋の時代は、中国の水墨山水図が表現・技術の総合的なレベルとしてはピークに達したと言っても過言ではないのですが、それを物語る超名作が郭煕の《早春図》(↓)です。見てください、この迫力を!
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この絵で郭煕は、平遠(水平視)の他に、高遠(仰ぎ見る視点)、深遠(のぞきこむ視点)という3つの視点を組み合わせて画面を作り上げています。三遠法と呼ばれます。
複数の視点が1つの絵の中にあるわけですから、水平線がどこにあるか、なんて考えること自体がナンセンスです。視点が固定されていないからこそ、鑑賞者は、画中の山水を歩いて自由に周りを見回すような感覚を覚えるのです。非常に高次元の絵画表現ですよね。
しかし北宋から南宋に時代が移ると、それまでの重厚な山水図は姿を消し、すっきり整理された構図の山水図が主流になります。馬遠、夏珪の2人が有名です。
彼らは「辺角の景」と呼ばれる対角線構図を多用しました。対角線の片側にモチーフを寄せて、反対側に大きな空間を作るというものです(↓)。
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なんというか、また俯瞰構図とあいまいな水平線に落ち着いた感がありますね。正直言って、北宋の郭煕のあたりは表現が高度過ぎたのではないか、というのが個人的な感想です。
ちなみにこの南宋の絵画は、日本絵画、主に室町時代以降の水墨画に大きな影響を与えています。ということで、日本で大人気となった画僧牧谿の絵も見ておきましょう。
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モヤが立ちこめた潤いのある世界を水墨で表現しています。すべてが曖昧模糊としていますが、見方によっては幽玄ともとれます。水平線については、やはり「どこにあるの?」状態です。
続いて元の時代には、文人画家が登場します。元末四大家と呼ばれる黄公望、呉鎮、倪瓚、王蒙が有名です。その中の1人、黄公望の代表作を見てみましょう。《富春山居図巻》という画巻(絵巻のようなもの)です。
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長い巻物形式で、横へ横へと山水が展開する作品です。さっぱりしていて見ていて心地がよい絵です。ちょっと長めの画像を載せるので、水平線はどこだろうという気持ちで、よく見てください(↓)。
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わかりますかね。水平線の位置、正しくは水平線が想定されうる位置(赤いラインで示してみました↓)が自由自在に上下しているのです。なんと!
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西洋絵画の理論でいけば、めちゃくちゃに破綻した空間表現でしょう。しかし中国絵画ではそれが何の違和感もないから不思議です(いや、ちょっと言い過ぎました。西洋的な絵画観が基本インストールされている私たちにとっては、やっぱり少し違和感ありますね)。
陸と空の境界をあいまいなままにする、という展子虔の《遊春図》ですでに見られた表現は結局、ここにいたるまで連綿と続いているということです。
青緑山水のような着色画ではなく、水墨画だからなおさらそれがやりやすくなっているとも言えます。だって何も描かなければ、そこは空にもなるし大地にもなり得るのですからね。
黄公望の絵を見て、なんとなく分かってきました。中国絵画で、徹底して水平線を明示しない(水平線を拒否してるとさえ言える)のは、水平線をはっきり描いて絵画に現実性を取り込んでしまうと、思うがままに画面を構築できなくなるからではないでしょうか。
水平線を描かなければ、つまり画面を無地のままにしておけば、必要に応じてモチーフを上に上にと重ねていくことで、その都度、(架空の)水平線は再設定され続けることになります。
中国絵画では山水図こそが王道中の王道と言える画題ですが、面白いほど実景図が描かれません。もちろん画家が暮らす地域の風土が、エッセンスとして絵の中に入ってはいるのですが、実際の景色を見たままに描くなんていうことはしないのです。
「胸中の山水」という言葉があるように、中国の山水図は理念や理想の絵画化なのです。だからこそ、そこに水平線は不要なのです。これは、元の後に続く明・清でも基本的に変わりませんでした。
中国絵画において、水平線は不要だった。すごい結論になってしまいました(いいのだろうか?)。
さぁ、それではその影響を受けつつ展開した日本絵画は、水平線がどうなっていくのでしょうか。自分でも見切り発車で書いているので、うまく結論が出るのか非常に不安ですが(笑)、次回はようやく日本絵画編です。
雑な論理展開なので、議論、反論いろいろあるかと思います。何でもコメントでお寄せください。