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「なぜ日本絵画には水平線が無いのか」を考える(その4)

その3(↓)からの続きです。

前回は、中国絵画が水平線をどのように扱ってきたのかを見てみました。それでは、いよいよ本題の日本絵画に入ります。

日本絵画は私の主戦場なので、あれもこれもと作例を紹介したくなりますが、なるべく冗長にならないよう気をつけるつもりです。それでも長くなってしまったら、ごめんなさい(先に謝るスタイル)。

日本絵画の水平線

日本絵画の主な画面形式としては、ご存じの通り、屏風、巻物、掛け軸がありますよね。
屏風は大画面、巻物つまり絵巻は横長、そして掛け軸は基本的に縦長という具合に、それぞれ特徴が大きく異なります。「なぜ日本絵画には水平線が無いのか」という、言わば構図に関する問題を考えるわけですから、こうした画面形式の違いにも注意しなければいけないでしょう。

■平安時代末の大画面作品の場合

屏風絵の作例で最も古いのは、東寺に伝来した《山水(せんずい)屏風》(京都国立博物館)です。平安時代後半の作と推定されています。それに次ぐ作例として、鎌倉時代初期の《山水屏風》(神護寺)があります。

《山水屏風》平安時代・11世紀後半、京都国立博物館
《山水屏風》鎌倉時代・12世紀末〜13世紀初め、神護寺

視点を高くとった俯瞰構図に、青と緑を基調とした色彩。これは中国の青緑山水の影響が明らかですね。ただ面白いことに、中国のそれよりも水平線の位置はわりと明確です。

東寺伝来の《山水屏風》を見ても、水面の描写がふわっとフェードアウトする位置と、一番奥(つまり画面の一番上)の山並みのラインがほぼ揃っているので、このあたりが水平線なんだな、ということが分かります(下図の赤い矢印のあたり)。画面のかなり高い位置に水平線があることになりますね。

また、屏風ではありませんが、同時代の大画面作品として制作年まで判明している貴重な作品が《聖徳太子絵伝》(東京国立博物館)です。1069年に法隆寺の東院絵殿(とういんえでん)に、絵師の秦致貞(はたのちてい)が描いた障子絵です。

秦致貞《聖徳太子絵伝》平安時代・延久元年(1069)、東京国立博物館(法隆寺献納宝物)

これもやはり俯瞰構図の青緑山水様式ですが、画面最上部まで山で埋め尽くすことはせず、空白として残しており、このことから2点の《山水屏風》とほぼ同じ位置に水平線が設定されていることが分かります。

まず、ここまでで分かることとして、日本の平安時代の屏風絵(や障子絵)では、中国絵画の影響を受けた俯瞰構図が定着していたことは確かです。この視点は日本絵画でも連綿と続いていくことになります。
その一方で、中国絵画では「あえて」あやふやにされていた水平線が、日本の最初期例ではわりとちゃんと画面上部に設定されているという違いも見えてきました。この違いは何を意味するのでしょう。

いかんせん現存する作例が限られているため(ちなみに平安時代には「四季絵」と呼ばれる屏風作品が数多く制作されていたことは史料から明らかにされています。ただ残っていない……)、これだけで結論づけるわけにはいきませんね。疑問点は保留にしたまま、先に進みましょう。

■平安〜鎌倉時代の絵巻の場合

平安時代から盛んに描かれたのが、絵巻です。中国でも巻物形式の絵画は制作されていますが、日本のように物語を題材とした絵巻は主流とはならず、山水図をパノラミックに展開していく山水画巻という方向に展開していきました。つまり絵巻は、日本特有の絵画と言えるのです。

では、この絵巻には水平線が描かれているかというと、結論から言えばほとんどありません。ごく一部の例外をのぞき、絵巻には空が存在しないのです(↓)。

《源氏物語絵巻(御法)》平安時代・12世紀前半、五島美術館
《伴大納言絵詞(上巻)》平安時代・12世紀後半、出光美術館

絵巻も屏風と同じく、斜め上から見下ろす俯瞰構図で描かれています。
絵巻は縦の長さが固定されている代わりに、横方向へはいくらでも続けることができるという画面形式です。この制約を考えると、俯瞰しながら水平線や空まで描くのは難しい注文であることは理解できます。

実際に、平安時代から鎌倉時代にかけて描かれた様々な絵巻を見ると、俯瞰する視点の高さが場面によって変化する例はあるものの、それらはあくまで俯瞰構図の中でのバリエーションに過ぎません。

例えば、鎌倉時代の《一遍聖絵》(↓)は、はるか上空から寺社や名所の全景を一望するような場面がしばしば登場します。人物は豆粒ぐらい小さくなります。

《一遍聖絵》鎌倉時代・正安元年(1299) 、清浄光寺

このように俯瞰する視点の高さは移動するものの、これが水平視点になったり、仰角視点になったりはしないんですよね。

しかし!

物語上どうしても空の様子を描きたい場合があります。具体的には、月が重要な意味を持つ時だったり、空から何かが来迎する時だったりです。そんな時に絵師はどうしたか。

答えは「霞をかける」です。雲のようなふわふわしたもの、これを「霞(かすみ)」と呼びます。
絵巻では場面を一気に転換する時にも、霞をかけてその霞が消えた時には全く別の場面に変わっているという表現を使います。時間や場所を一気に省略するわけです。

この「霞=省略」という記号装置の発明によって、水平線など無くても俯瞰構図のままで空の状況を同一画面に描き込むことが可能になりました。

下の2図はどちらも《源氏物語絵巻》の一場面です。両方とも右上の角に銀色の月が浮かんでいます。月の周囲は、霞がかかっていることが分かりますね。

《源氏物語絵巻(鈴虫二)》五島美術館
《源氏物語絵巻(橋姫)》徳川美術館

この月と霞の表現は、室町時代以降の絵巻でも用いられています。

伝土佐光信《鼠草紙絵巻》室町時代・文明元年(1469)頃、ハーバード美術館
狩野元信《釈迦堂縁起絵巻》室町時代・永正12年(1515)頃、清涼寺

そして霞は使い勝手が良すぎたため、絵巻にとどまらず、屏風などにも幅広く応用されて近世まで受け継がれていきます。それについては、また詳しく触れたいと思います。

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ふぅ、平安時代と鎌倉時代だけでも、だいぶ語ってしまいました。まだまだ全然本質に迫れてはいませんが、ここで一区切りとしましょう。うーむ、これでもすごく端折っているつもりなのですが(苦笑)。

その5へつづく>>

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