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ヒットする展覧会の法則[当たり前のことをあらためて語る]

入館者数年間ランキング上位の展覧会を見る限り、入館者数の平均値はビフォーコロナとアフターコロナでだいぶ変化が見えましたね。

ただしヒットする展覧会の傾向自体はさほど変わっていないように思います。ではここで、展覧会のヒットの法則を探ってみましょう。


■レアなものはやっぱり見たい!

まず、一つ目は希少性、レア度です。

それを最もよく示すのが、奈良国立博物館で毎年秋に行われる「正倉院展」でしょう。この10年間、一日平均入館者数ではほとんど1位か2位に君臨し続けているモンスター級の展覧会です。

奈良時代の聖武天皇遺愛の品を中心に構成された正倉院宝物。天武天皇と言えば、奈良の大仏で知られる東大寺の盧舎那仏を造立した天皇です。天武天皇が崩御した後、后の光明皇后が天皇の収集した貴重な文物を大仏に奉納しました。それを保管するために建てられたのが正倉院です。
遣唐使を通じてもたらされた中国・唐の品々は非常に国際色豊かで「シルクロードの終着点」と呼ばれています。

宝物はごく一部の時の権力者だけが目にすることができる貴重品であり、今も正倉院は、勅封といって天皇の許可がなければ扉を開けることができません。毎年10月初旬に天皇から勅使が遣わされ「開封の儀」が執り行われています。

秘されているほどに見たくなるのは人の性でしょう。

シルクロードの香り漂うエキゾチックな美術品の魅力も手伝って、奈良国立博物館前はいつも長蛇の列になるのが古都奈良の秋の風物詩です。コロナ禍を経て事前予約による日時指定制を設けるようになってからも、行列ができる光景が続いているところに「正倉院展」の並外れた集客力がうかがえます。

しかし、会期全体の総入館者数で見ると「正倉院展」は毎年10位にも入りません。それはこの展覧会が17日間という超短期間の開催だからです。
先ほど説明した通り、勅使によって10月初旬に開封された正倉院の扉は、早くも11月下旬に「閉封の儀」によって再び閉ざされます。校倉造の宝庫の中で悠久の時を超えてきた宝物たち。それをさらに後世まで伝えるためには宝物の状態点検は欠かせません。しかし勅封として固く閉ざされた扉の中には、正倉院を管轄する宮内庁正倉院事務所の研究員も入ることはできません。
そのためこの開封期間に集中して、研究員たちが宝物の総点検を行うのです。そしてそのついでに、ごく一部の宝物を一般公開をしているというわけです。
宝物は超繊細で超脆弱ですから、長期間展示することはできません。そのためごく短期間公開し、また正倉院の中に戻されるというわけです。
「正倉院展」は毎年行われていますが、同じ宝物が展示されるのは何十年か後ということもあります。生きている内にもう見られない可能性もあるという希少性が、人を強く惹きつけるのです。

■消えない海外への憧れ

この希少性とある意味重なるところがありますが、やはり強いのが海外展です。

かつて海を越えてはるばる日本へやってきた「ミロのビーナス」「ツタンカーメン」「モナ・リザ」が、空前絶後のヒットを記録したのと同じように、直近の10年間でも海外からやってきた美術品による展覧会が数多く上位にランクインしています。
とりわけオルセー美術館、ルーブル美術館、マルモッタン・モネ美術館、オランジュリー美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、メトロポリタン美術館など誰もが聞いたことがある欧米の有名美術館のコレクション展はその名前だけで一定の集客が見込めます。

海外から作品を借用して行う展覧会は、国内展とは比べものにならない時間と労力とお金がかかります。
先方と交渉しながらの作品選定、時には事前に一度現地へ飛び調査を行うこともあります。空輸の手配、借用する作品にかける保険の契約、税関手続き、その他数え切れないほどの事務作業が発生します。
とても学芸員1人の手に負えるものではありません。こうした海外展はほとんどの場合、新聞社が共催に入っています。企画部、文化事業部など呼び方は様々ですが、その新聞社の展覧会担当社員が活躍します。

このように実現するまでのハードルが非常に高い海外展ですが、来館者数という数字で見る限りその見返りは大きく、だからこそ繰り返し開催されているのでしょう。

ただ、悲しいかな日本の経済力低下が顕著なので、ありし日のような海外の超有名作品を持ってくることは叶わなくなりつつあります。海外展の内容や頻度は変わっていかざるを得ないでしょう。
無理やり前向きに考えるならば、戦後の人々が美術に飢えていた時とは違い、美術を鑑賞する世間の目は肥えています。ですから有名美術館の名前を冠しつつも、そのコレクションの中からこれまであまり注目されていなかったような作品を選び出し、新たな魅了を発見して紹介する。そんな工夫が必要になってくるかもしれません。
そうした意味では学芸員の企画力、研究能力が問われることになるでしょう。

■定番コンテンツという王道の安定感

もう1つのヒットの法則と言えることは、定番コンテンツの安定感ですね。大きくこけることがまず無い強力コンテンツです。

これは特定の作家の場合もあれば、特定のジャンルの場合もあります。
例えば作家で言えば、モネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、フェルメール、ピカソ、雪舟、北斎。こう見ると、西洋の画家が多いですね。ジャンルで言えば、印象派、琳派、国宝などです。

人によっては「また、これか……」と思うかもしれませんが、いやいやこれがバカにはできないのです。
行く前からある程度どんな内容の展覧会か分かる。そしてその内容が自分の好みだということも分かっている。だから安心して見に行くことができる。そうした動機で展覧会に足を運ぶ人はとても多いのです。

ヨーロッパでは知的な刺激を求めて美術館に行く人が多いのに対し、日本では癒やしを求めて美術館に行く人が多数派であるという話もあります。静謐な空間で泰西名画や国宝をじっくりと眺めて満たされた気持ちで帰る、というのが大多数の人にとっての美術館の楽しみ方なのです。

また、ここ10〜20年の流れを見ていると、縄文美術や江戸時代の伊藤若冲といった新しい定番が生まれつつあるのを感じます。

新たな定番と思えるもの、他に思いついたらコメントで教えてくださいませ。

■大ヒットしない展覧会にも意味がある?

逆に大ヒット展のラインナップから漏れ落ちているものにも触れておきましょう。

色々な見方ができますが、現代アート、近代以降の日本美術、海外美術で言うならばヨーロッパ、中国、南米以外の地域の美術。
これらは優れた内容の展覧会であっても、集客という観点で言えば大ヒットすることがほぼありません。これは事実です。ここに私たちの目にかかっているフィルター、言い換えれば美術嗜好の偏りが見え隠れするのです。

もちろん言うまでも無く、来館者数だけが展覧会の良し悪しの基準ではありません。
マスメディアが共催に入り巨額の予算をかけた展覧会となると、どうしても上記のようなヒットのコツを押さえた企画にせざるを得ない側面があるということです。

そうした大規模企画展をすることができるのは国公立の主要美術館とごく一部の大手私立美術館に限られますが、それ以外の全国各地の小中規模の美術館が果敢に独自の視点、独自の切り口でマイナーなテーマ、未開拓のジャンル、知られざる作家などの展覧会を行うことで、人々が多様な美術を楽しめる高い文化水準が維持されている、ということも是非覚えておいてください。